士師記7章-1

士師記
=本章の内容=
❶ギデオンの戦い(7:1-7)
=ポイント聖句=2,主はギデオンに言われた。「あなたと一緒にいる兵は多すぎるので、わたしはミディアン人を彼らの手に渡さない。イスラエルが『自分の手で自分を救った』と言って、わたしに向かって誇るといけないからだ。
=戦闘の経緯(6・7章)= [1] ミディアン人・アマレク人の大軍(135000人)が、ギデオンの住む近くのイズレエルの平野に集結。(6:33、8:10)。 [2] ミディアン人・アマレク人の大軍がモレの丘に近い場所に宿営(7:1)。・・・オレブとゼエブという二人のミディアン人の王子(7:25)と、ゼバフとツァルムナという二人のミディアン人の王(8:5)が宿営の中にいた。 [3] ギデオンはミディアン人と戦う志願者を募る。マナセ、アシェル、ゼブルン、ナフタリの部族から32,000人の軍隊がオフラに到着。(6:34-35、7:3)。 [4]志願兵たちがはハロドの泉に向かいキャンプを張る。泉はミディアン軍のすぐ南に位置し、その下の広大な敵を見下ろす地面にあった(7:1、8-9)。主なる神様はそこで戦う兵士の数を300人に減らすことを命じられた(7:2-7)。 =黙想の記録=●ギデオンが伝令を送ったのはマナセ、アシェル、ゼブルン、ナフタリ部族です。アシェル部族を除きデボラの戦いで勇猛果敢に参戦した部族です。伝令を送ってから32000人が集結するのに数日は経過していたでしょう。その間にミディアン人・アマレク人の大軍(135000人)が集結してくるのです。ところで前章のデボラとギデオンの居住地はわずか30kmの距離です。タボル山でのデボラの戦いと、30km南の山でのギデオン軍の戦いも紀元前1184年に同時に起こっているのは偶然とは思えません。
❶1-7節:残りの300人・・・敵軍135000人に対してイスラエル軍32000人はあまりにも少人数です。おまけに敵軍の圧倒的武力の前に到底勝てる人員とは思えません。ところが主なる神様は兵を削減せよとおっしゃるのです。まず「3,・・・臆病風に吹かれている者(リビングバイブル)」とありますが、これは「この戦いには初めから勝ち目がなく駄死にすると思う者達」と考えるべきでしょう。22000人が帰ったとありますが、上述の4部族はデボラの戦いにも同時出兵させている訳ですから両方の戦いで犠牲は如何程になるか計り知れないのです。ギデオンの戦いは正に全滅覚悟の戦いとなるはずです。軍隊に個人の意見は出せないのが当然ですから、ひいき目に診て犠牲を最小限にしたい部族の思惑に沿って兵を引いたとは言えないでしょうか。それでも死を覚悟した一万人が残ったのは驚異的なことなのです。32000人ですら心細い兵の数なのにそれを去らせてしまうのが神様のやり方なのです。ギデオンは納得できなかったことでしょう。この時点でギデオンは敗軍の将を意識してしまったことでしょう。ところが主なる神様は兵の大幅減少だけでは飽き足らずさらに兵を減らすよう要求してきたのです。さらにあることを実行させてクリアしたものだけを残したのです。それは「水の飲み方で全員を二組に分ける」よう命じられました。「犬のように自分の舌で水を飲む者」「膝をつき屈んで手ですくって飲む者」は除外され、この状態で水を飲む場合剣を帯刀することはできません。「立膝をつき片手で水を救った者」とは剣を帯刀しながら水が飲める市でいです。この区分が意味するところは、水を飲む場面でも周囲を気にし、剣を帯刀しいつでも臨戦態勢にあるかどうかの区別でした。あるいはひざまずくという行為は、バアルに仕える偶像礼拝の習慣を暗示しているとも捉えられていたとも言われこの姿勢から偶像崇拝者を見抜いたという説もあります。ところで考えてみてください。主なる神様はなぜ二度にわたってこんな回りくどいことをギデオンに要求してきたのでしょう。そうです。この二度の要求は最初ギデオンが仕掛けてきたことなのです。つまり、この二度の兵の選択はギデオンの信仰の未熟さを気づかせる方法だったのです。新約聖書でカヤパの私邸でイエス様を三度否んだペテロでしたがガリラヤ湖畔ではイエス様に三度「私を愛するか」と問われた光景を思い出させますね。
●ギデオンは2つのしるしを主なる神様に要求しましたがそれは4部族からの援軍を到着させるための時間稼ぎでした。「私の手で・・・」とギデオンが言った時そこには主なる神様への全幅の信頼はありません。神様の手から絶大な力を引き出そうと祈り求めたのではなくあくまでも自分のシナリオでことを勧めようとしていたのです。この信仰の未熟さを成長させるために通過させたかったのがこの戦士の選択だったのです。
語句①恐れおののく者[臆病風に吹かれている者(リビングバイブル)](3):英語fearful and afraid(KJV) timid or afraid(NLT)ヘブル語ヤレイ・ハレイドゥ[恐怖に震え・臆病になっている]