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士師記5章

士師記 5章
=本章の内容=

❶デボラの賛歌

=ポイント聖句=

31主よ、敵をみなシセラのように滅ぼしてください。主を愛する者を太陽のように輝かせてください。」そののち、イスラエルには四十年間、平和が続きました。

=黙想の記録=

●4章はシセラ率いるカナン軍との戦記でした。本章は戦勝記念としてデボラの賛歌が描かれています。以下本章を六つに区分したものです。
❶1-5節:出陣を鼓舞する
「5,山々は主の前に流れ去りました。シナイさえもイスラエルの神である主の前に。(新改訳2017)」「5イスラエルの神、主の前では、シナイ山さえ揺れ動いた。」モーセに率いられたイスラエルがシナイ山で初めて神様の顕現に遭遇した時から、「4主がセイルからわれわれを導き出し、エドムの平原を進まれた時・・・」つまりヨシュアの時代にエドムの地域で戦闘が行われていた時にも神様はイスラエルの歴史にずっと介入されてきたことをデボラは再確認したのです。
❷6-8節:圧政者の下におけるイスラエルの悲惨な状態を歌っている
士師記4章の登場人物シャムガルは農民でヤエルは遊牧民でした。彼らの時代には街道は人の往来が減り荒れ果てていました。つまりイスラエル全体が無政府状態でインフラ整備もそれどころか国を守るべき軍隊も崩壊状態だったことを謳っています。こうした状態の時にデボラがイスラエルを指導し始めるのです。「イスラエルに母として」とありますが、彼女は実際に妻であり母の役割を果しながらイスラエルを指導しています。高圧的な強引な指導ではなく母親が子供に接するようにです。自分自身は決して先頭にしゃしゃり出ることをせずバラクを励まし軍の将として立派に戦いに臨むよう薫陶し続けたのです。
➌9-18節:諸部族の招集、諸部族への賞賛と非難
「11村の楽隊は井戸の回りに集まり、主の勝利を歌う。くり返しくり返し、主がどれほど、農民の軍隊イスラエルをお助けくださったかを。主の民は、城門を通って行進した。」村の楽隊・農民の軍隊と表現するほどこの戦いに臨むイスラエルは貧弱な者たちばかりでしたが、神様が彼らを勇者に変えるのです。ところがイスラエルは一枚岩ではありませんでした。期待していた部族程優柔不断な様子を呈していたのです。以下諸部族の様子をまとめてみます。
[1]エフライム族・・・ヨシュアとともにアマレク人と戦った諸氏族も一緒にいた
[2]ベニヤミン族・・・エフライム族の後続として戦に出た
[3]マキル(東西のマナセ族)・・・総督(指揮官)クラスの戦闘経験のある重鎮が参加した
[4]ゼブルン族・・・「ヘブル語:指揮官の杖を持った者」とは書記官クラスの人材が派遣されてきた。さらに、「いのちを賭して死をいとわぬ民」とあるように戦闘経験のある勇者も加わった。
[5]イッサカル族・・・戦闘中ずっとデボラを守っていた。歩兵部隊が激戦地にいた
[6]ナフタリ族・・・「いのちを賭して死をいとわぬ民」とあるように戦闘経験のある勇者がいた。
※以上6部族の評価は高いが、以下の部族をデボラは避難している。
[7]ルベン族・・・「二つの鞍袋の間」はヘブル語でミシュぺサリア[羊の群れ]に座って呑気に笛吹くのを聞いていたとあるのは、ルベン族がこの戦闘に無関心で優柔不断な態度を取っていたことを表す。
[8]ギルアデ族・・・ヨルダン川東岸に向こうにとどまって動こうとしなかった
[9]ダン族・・・地中海に面した割り当て地で「船に乗って」つまり日常生活を置いてまでも戦いに加わろうとしなかった。
[10]アシェル族・・・地中海に面した割り当て地に居座ったままだった。
※煮え切らない部族は後に早々にして他民族の侵略を受けてしまう。
❹19-22節:戦闘の描写
[1]カナンの諸王はメタナク山のふもとでイスラエル抗戦したが結果的には勝利は得られなかった。
[2] 「20-21節:天の星さえもシセラと戦った。キションの逆巻く流れが彼らを押し流したのだ。(リビングバイブル)」とあり、これは明らかに異常気象が起こり、雹を含む現代で言うところの警報級の大雨が降り、たちまちキション川が氾濫。河川に留まっていた戦車隊や多くの兵が一瞬のうちに押し流されたことを表現したもの。シセラ軍の一部は地中海まで流されたという説もある。この自然災害ですでに弱体化したシセラ軍は壊滅状態となった。
❺23-27節:シセラの死とヤエル
[1]天使の呪いの言葉:「メロズ」は、エズレル渓谷の北斜面にある泥でできた村と言われている。タボル山近郊に陣取るイスラエル軍を避け、シセラはヤエルのいる地域を到達したと思われます。もしこの時住民がシセラを捕らえてイスラエルに差しだすことができたのに、それをしなかった。これはイスラエルに対する裏切り行為となります。
[2]モーセの舅は遊牧民。そしてヤエル自身もその夫も遊牧民のはず。遊牧民なら天幕を張る作業は女性の仕事でもある。天幕の杭を槌で打ち込むのは当たり前にできること。ヤエルの夫はヤビンと友好関係にあったもののヤエル自身はいくつかの理由でこの友好関係を快く思っていなかったようです。それは自分たちの先祖がイスラエルの指導者モーセとは親戚関係であったこと、さらには将軍シセラは敗軍の将でやがてイスラエル兵が捜索に来た際にかくまった事実が分かればきっと累が及ぶと予感していたからでしょう。「25,シセラが水を求めると、彼女は乳を与え、高価な鉢で凝乳を差し出した。」とありますが、乳や凝乳は安眠を誘うものです。ヤエルはシセラを歓待したふりをしただけです。
❻28-30節:シセラの宮殿でシセラの帰りを待っている母の惨めな姿が描かれています
シセラの母は侍女たちに囲まれた城の中で詩シセラの凱旋を待ち望んでいます。圧倒的な軍事力をもってすればイスラエルは一捻りと思い込んでいたのです。侍女たちもそう信じて、「シセラがイスラエル人からの分捕りもの(刺繡した染め織物は当時イスラエル人の特産品でした)を思ひになります。」と言う言葉で母を安心させようとしました。ここでデボラは戦争は男性だけでなく背後にいる女性も関与していることを明らかにしている王です。シセラの母親にとってもその侍女たちにとっても最大関心事は戦利品であり、戦争の意義などどうでもよかったとも聞こえてくるのがこの個所です。つまり女性の欲求が戦争を産み出す要因であると言っている様です。
●本章から学ぶポイントは以下の通りです。
[1]戦闘に加わらなかった部族・・・彼らは同胞と一緒に戦闘に加わるというリスクを避けました。目先の安全ばかりを追求する近視眼的な生き方です。信仰心を働かせる必要がないのです。
[2]争いごとは戦う欲望が根本原因であり、戦利品を期待するさもしい思いがスタートラインにあります。戦利品とは相手より優位に立てるということです。周囲より豊かな生活が送れることです。
[3]メロズの住民が犯した罪は「不作為の罪」です。「こういうわけで、なすべき良いことを知っていながら行わないなら、それはその人には罪です。」ヤコブ4:17

=注目語句=

語句①セイル(4):英語Seir(KJV);ヘブル語セイ・イェール[毛深い]・・・死海の南からアカバ湾に至る地域で、一般に「エドムの地」と言われる。

士師記

Posted by kerneltender