士師記1章
士師記 1章
=本章の内容=
❶カナン侵攻の継続・戦闘の忌避と同化政策
=ポイント聖句=28,イスラエルは強くなったとき、カナン人を苦役に服させたが、彼らを完全に追い払うことはしなかった
=黙想の記録=●ヨシュア亡きあとのイスラエル人はカナン人との戦闘行為を忌避し先住民族との同化政策をとることの考えに始終します。それはイスラエル全体をまとめ上げることのできる強力な指導者が出なかったためにイスラエル民族が一致団結して戦うことはなかったことが要因です。それ故に部族ごとが先住民族に独自で対峙しなければならなくなったのです。
●残念ながらヨシュアは戦いには長けていましたが、次期指導者を育て上げることには関心がなかったかたその能力に欠けていたように思われます。
※こうした意味で言うと現代の基督教会でも同様なことが起きているとは思いませんか。強力な指導者がいる教会が指導者不在になると途端に分裂分派を起こすのに似ています。
❶ユダ族の場合・・・シメオン族と行動を共にしカナン人とペリジ人を攻撃1万人を討ち取る。→エルサレム・ネゲブやシェフェラ・ヘブロン・デビル・ツェファテ・ガザ・アシュケロン・エクロンとその地域を攻め取った。アナクの三人の息子を追い払った。
<特記事項1>「2,すると、主は言われた。「ユダが上って行くべきである。」の主の命に対し、「3そこで、ユダ族の指導者たちは、シメオン族に加勢を求めました。「私たちの割り当て地に住む者たちを追い払うのに力を貸してほしい。その代わり、あなたたちが戦う時には必ず応援するから。」そうして、シメオンとユダの軍隊は合流して出陣しました。(リビングバイブル)」とあるようにシメオン族に加勢を求めましたが、これは明らかに主の命令に私流の計画を付け加えたものです。
<特記事項2>アドニ・ベゼク(ベゼクの領主の意味)を捕縛し両手両足の親指を切り落としたとありますが、これは手で武器を掴めず歩行もできない状態にするということで、無能な指導者であることを証する最大の侮辱になります。彼自らも他民族の指導者に同様な恥辱を与えていたと述懐しています。「私がしたとおりに、神は私に報いを返された。」と言っているのは「イスラエル人も同様な運命をたどるぞ」という負け惜しみです。彼にとっては他国のエルサレムに連行されて行きます。ところがこれはアッシリヤ・バビロンに捕囚されていくというイスラエルの過酷な運命を予見したとも言えるのです。
<特記事項3>カレブの約束・オテニエルの活躍の記述はヨシュア記15章と重複しています。カレブはキルヤテ・セフェルを攻め取った者にはカレブの娘アクサを差し出すと約束しました。つまりカレブの義理の息子という姻戚関係を結ぶことになるわけです。カレブは当時のユダヤ人にとってはレジェンドであり、その婿になるとはそのままこの上ない栄誉を得られることになります。オテニエルはその栄誉を射止めたのです。アクサは嫁ぐにあたりネゲブの地に泉の使用権を所望します。ネゲブの地は現在のシナイ半島のこと。荒涼とした砂漠が大半を占めているところのように想像してしまいますが、実際は北部地域では泉が点在し井戸を掘れば必ず水を発見できるところでした。また5、6mの落葉樹地帯が広がりまた牧草地もありました。やがてこの地域は農耕、牧畜、工業、通商の地として発展していきました。つまりアクサ夫妻にもカレブ同様の逞しい信仰心が継承されていたからこそ、荒涼とした砂漠地帯にいつしか発展していくであろう町々の様子が見えていたのでしょう。「困難を乗り越えた先にはより大きな祝福が待っていることの教訓とも言えるでしょう。」という冒険心に富んだ信仰が継承されていたのです。
<特記事項4>平地の住民は鉄の戦車を持っていたので、ユダは彼らを追い払えなかった。「追い払わなかった」のではなく「追い払えなかった」とあります。つまり実力が伴わなかったのです。しかし実は「鉄の戦車」という強力兵器があることを口実に追い払わなかったと考えるのが妥当でしょう。
❷ベニヤミン族の場合・・・ユダ族によってエルサレムは陥落したはずでした。ところが先住民族小野エブス人を追い払うことができなかったことが記されています。エルサレムはベニヤ民族の分割地内にあったのでエブス人を追い払うのはベニヤミン族の責任でした。「21ベニヤミン族は、エルサレムに住むエブス人を根絶やしにできませんでした。(リビングバイブル)」とあるところから完全追放できなかったのです。エブス人はヨシュア記11章ですでに武力を失っているにも拘わらずです。ベニヤミン族は自ら傷つく戦闘行為を避け同化政策を取っていくのです。
➌ヨセフ族の場合・・・この場合のヨセフ族とはマナセ族とエフライム族のことです。ベテル(城壁のある都市国家)を攻略。ところがマナセ族はいくつかの地域の占領を蔑ろにしました。恐らくこれもベニヤミン族同様自ら傷つく戦闘行為を避け同胞が疲弊するのを避けたのです。結局彼らもカナン人に対して同化政策を取っていくのです。
❹エフライム・ゼブルン・アシェル・ナフタリ・ダン族の場合・・・上記の三部族同様の政策をとっていきます。
※戦闘行為を避け同化政策を進める部族の様子は今日の基督者の中で「現世では周りの同調して生活しもめ事を起こさない方が懸命だ。その方が平和に暮らせるではないか。」または「救われさえすれば、信仰の成長も魂の救済など必要ない。それは無意味で人生を浪費するだけだ。」という考え方をする人々に酷似しています。