ヨシュア記22章-2

ヨシュア記 22-2章
=本章の内容=❶2.5部族の弁明とピネハスの思い
=ポイント聖句=28,私たちは考えました。後になって、もし私たち、また私たちの子孫がそう言われたとしても、私たちはこう言うことができる。『私たちの父祖が造った主の祭壇の型を見よ。これは全焼のささげ物のためでもなく、いけにえのためでもなく、私たちとあなたがたとの間の証拠なのだ』と。(新改訳2017)
28たとえそう言われても、胸を張って答えることができます。『僕らの先祖が、主の祭壇の型にならって作った、この祭壇を見てくれ。これは焼き尽くすいけにえや、その他のいけにえをささげるつもりのものではない。ただ、僕らと君たちが、共に神様と結び合わされた者どうしであることのしるしなのだ。』(リビングバイブル)
●21-29節:2.5部族はピネハスの鬼気迫る言葉に震え上がったはずです。なぜなら彼らに偶像礼拝やイスラエル人への反逆の意志など一欠けらもなかったからです。寝耳に水なのです。彼らは「ひとつの祭壇」を築いた理由を正々堂々と語り始めます。内容は以下の通り。
(1) 主なる神様に対する従順は今も変わりがない。つまり異民族の神々に心変わりなどしていない。もし自分たちが偶像礼拝をしたのなら神様の呪いを受けても構わない。
(2)長い年月が経てヨルダン川両岸の子孫たちは、我々が共に戦ったことも、あるいは同胞であったことも忘却の彼方に追いやる日がきっと来る。その様なことを起こさない為の記念碑(証拠)としての建造物がこの祭壇である。こうして両岸の子々孫々に12部族は今なお一致していることを教育していくための苦肉の策である。
(3)私達はこの祭壇で全焼のささげ物や穀物のささげ物やいけにえを献げてはいない。それはシロにある私たちの主なる神が臨在される主の幕屋、主の祭壇のほかに礼拝すべき場所はないと肝に銘じているからだ。
●30-34節では上記の2.5部族の弁明に納得したピネハスとイスラエル全家の安堵できた様子が記されています。ところでピネハスは彼らの弁明を聞き彼らの自己本位な行動を赦したとのでしょうか。「31.・・・あなたがたは今、イスラエルの子らを主の手から救い出した。」のピネハスの言葉の舌下には同胞同士が互いにいがみ合い内戦が始めイスラエルが衰退することを危惧していたことを匂わせるものです。そしてイスラエル全家も「あの清廉潔白なピネハスが2.5部族を庇うのだから私達もそれに従おう」と思ったと想像するのです。この祭壇の建築がその後本当にヨルダン川両岸のイスラエルを一致団結させるものとなったとは到底思えません。歴史が教える通り、その後ヨルダン川東岸の2.5部族は原住民との同化政策をとりあっさり異教文化に染まっていくのです。2.5部族の指導者同様、教会の指導者が神様の御心を伺うことを省き、自己流の判断で教会のかじを取るならその行く末は信徒の背教にも繋がりかねないのです。
語句①大きな祭壇(10):英語a great altar to see to.(KJV) 見るべき大きな祭壇・a large and imposing altar(NLT) 大きくて堂々とした祭壇;ヘブル語ガドール・ミズベアフ・メルエ[立派な・祭壇・外観が]
語句②証拠(27):英語a witness.(KJV) (NLT) ;ヘブル語エイドゥ [証人, 証言、証拠]