ヨシュア記12章

ヨシュア記 12章
=本章の内容=

❶征服された人種と王国

=ポイント聖句=

1,ヨルダンの川向こう、日の昇る方で、アルノン川からヘルモン山までの全東アラバにおいて、イスラエルの子らが討ち、占領した地の王たちは次のとおりである。

=黙想の記録=

●そもそもヨルダン川東西への進軍は以下の聖句にあるように神様とアブラハムとの契約に基づくものです。
・・・その日、主はアブラムと契約を結んで言われた。「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。エジプトの川から、あの大河ユーフラテス川まで。ケニ人、ケナズ人、カデモニ人、ヒッタイト人、ペリジ人、レファイム人、アモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人の地を。」(創世記15:18~21)
・・・箱舟から出て来たノアの息子たちは、セム、ハム、ヤフェテであった。ハムはカナンの父である(創世記9:18)。・・・カナンが生んだのは、長子シドン、[ヒッタイト]、[エブス人]、[アモリ人]、ギルガシ人、[ヒビ人]、アルキ人、シニ人、アルワデ人、ツェマリ人、ハマテ人。その後、カナン人の諸氏族が分かれ出た。それでカナン人の領土は、シドンからゲラルに向かって、ガザに至り、ソドム、ゴモラ、アデマ、ツェボイムに向かって、ラシャにまで及んだ(創世記10:15~19)。・・・妹もまた、男の子(父ロトとの近親相姦の子)を産んで、その子をベン・アミと名づけた。彼は今日の[アンモン人]の先祖である。(創世記19:38)
レファイム人:出生不明です。巨人族と言われています。
💚ところが、イスラエルの進軍以前にこれらの地に定住した人種はイスラエル人とはほぼ一系。つまり元を辿ればノアやロトの子孫ということになるのです。以下の聖句がその根拠です。[ ]はヨシュア記に登場する人種です。それぞれの人種に人種としてのアイデンティティや、さらにその人種出現に至る経緯が子々孫々まで伝説として必ずあるはずですが定かではありません。しかし、断言できるのは、これらの人種は「主なる神」への思慕の思情も畏敬の念も持ち合わせていなかったということです。イスラエルは確かに主なる神の選民ですが、「主なる神」に対する思慕の情や畏敬の念、そして信仰心が620年間(アブラハムからモーセの時代)廃れることがなかったことは驚嘆に値することなのです。この心の持ち方に主なる神様か応えない無いことなどあり得ないのです。
❤️基督者の持つ父なる神様への思慕の情、畏敬の念、そして信仰心は、先祖から受け継いだものではありません。イエス様を救い主として受け入れた瞬間から、永遠を生きておられる聖霊なる神様の内住が始まったことに起源を持つのです。私が基督者になれたのは父なる神様の一方的な御愛の賜物であることを忘れてはいけません。

【排斥した諸国民】

(1)ペリシテ人…「海の民」の一支流であったペリシテ人は、エーゲ海域とギリシャのミケーネ文明を担った人々で、古代カナン南部の地中海沿岸地域周辺に入植した民族です。アシュドド、アシュケロン、エクロン、ガザ、ガトの5つの自治都市に定着して五市連合を形成していました。ヨシュアが占領した「エクロン、ガザ」は、当時はペリシテ人統括の都市のはずですが、ヨシュア記にはペリシテ人の地全域は手つかずだったとあります(13:2)。ですから当時はその2都市周辺を占領したということになるでしょうか。エーゲ文字を使用し豚肉を食べていたことが分かっています。古代メソポタミアおよび古代カナンの神「ダゴン」を奉じ、ガザとアシュドッドに大きな神殿があったことが知られています。このダゴンは「バアル」の父とされています。ペリシテ人との本格戦闘は士師記以降の時代です。
(2)ゲシュル人…ガリラヤ海の東岸に沿って広がり、現在ゴラン高原と呼ばれているところにいた先住民族です。彼らは雄牛の形をした月神を奉じていました。ゲシュル人はイスラエル人の進軍を免れ(13:13)、やがて同化していきます。アブシャロムの母はゲシュル人です。
(3)アビム人…ペリシテ人征服以前のガザ西方にいた先住民のことで、この時はペリシテ人征服後の残留者が居たようです。
(4)シドン人…シドンはアラビア語で「漁場」「漁師」を意味します。紀元12世紀頃、「海の民」の入植により建設された都市国家の住民でした。ゲバルの南方にあり交易港がありました。
(5)ゲバル人…シドン人同様、「海の民」の入植により建設された都市国家の住民でした。カナン最北端にあり交易港がありました。キプロスの東南東に位置します。
(6)マアカ人…アブラハムの兄弟ナホルの子が始祖です。ガリラヤ湖北70kmほどの位置した地域です。マアカ人はイスラエル人の進軍を免れ(13:13)やがて同化していきます。ダビデの30勇士の一人はマアカ人です(サムエル第二23:34)。
(7)アモリ人…カナンの子らの名(創世記10:6)として登場してきます。元来メソポタミアの西の地域の遊牧民でしたが、紀元前2000年に入るとメソポタミア各地でアモリ系の王朝が次々と成立していきました。紀元1200年頃までにはヒッタイト(鉄器技術の発祥)に制圧されています。

エジプトから出て荒野を40年間も彷徨っていたイスラエルと比較するとカナン文化はかなり進んでいました。
– 都市はよくレイアウトされており、家は優れたデザインと建設を示しました。
– 建物の床は、しばしば舗装された、または漆喰で塗られた。
– 排水システムが開発されました。
– 労働者は銅、鉛、金の使用に熟練していました。
– 陶器は世界で最も優れたものでした。
– 以下を含む外国との広範な貿易が行われましたエジプト、北メソポタミア、キプロス。

ヨシュア記

Posted by kerneltender