ヨシュア記10章

ヨシュア記 10章
=本章の内容=
❶ギブオンに課せられた試練❷大義名分=ギブオンとの盟約の背景❸アヤロンの谷で❹連合軍の脆さ
=ポイント聖句=42,これらすべての王たちと彼らの地を、ヨシュアは一度に攻め取った。イスラエルの神、主がイスラエルのために戦われたからである。
12~13,主がアモリ人をイスラエルの子らに渡されたその日、ヨシュアは主に語り、イスラエルの見ている前で言った。「太陽よ、ギブオンの上で動くな。月よ、アヤロンの谷で。」民がその敵に復讐するまで、太陽は動かず、月はとどまった。これは『ヤシャルの書』に確かに記されている。太陽は天の中間にとどまって、まる一日ほど、急いで沈むことはなかった。
(1)イスラエルと盟約を結んだギブオンは、早速試みに会います。ギブオンにとって、かつては友好国であった国々が、イスラエルと手を組んだ瞬間に敵国と見刺されてしまったのです。重要なのはこの点です。ギブオンはこうした事態が起こることを予期していたはずです。たとえイスラエルと軍事同盟を結んでいても、イスラエルが必ず援軍を送ってくれるとは限りません。偽りの神々を信奉している国々にとっては、「利害関係が道義心に勝ることがあり」裏切り行為は常のはずだからです。しかし、ギデオン人はイスラエルを選んだのは何故でしょうか。イスラエル軍が大規模だったからでしょうか。確かにそれも要因でしょう。しかし、それだけではなかったことは、9章の彼らの釈明から容易に汲み取ることができます。つまり伝え聞いている「過去から今に至るまでのイスラエルの歴史」、そして「歴史を動かす本物の神様の存在」を悟ったからなのです。さらに、イスラエル人の倫理観の高さは彼らが遵守する律法によるところ大であり、そこには「あなたは彼をあなた自身のように愛しなさい。あなたがたもかつてエジプトの地では在留異国人だったからである。レビ記19:34」という条文があるからです。この律法の由来は人間からではなく主なる神様であることを確信していたからなのです。
💗現代の基督者どうしが交わりを持とうとする場合でも上記の条件が必要なのです。それは、「第一にお互いの基督者としての歩み(神様が確かにこの人の人生に介入した痕跡)が見られる)こと、第二にみ言葉を愛しそれを遵守しようとする様子が判断できること」なのです。相手の経歴や実績で受け入れることは大変危険な結果をもたらすことになりかねないのです。
(2)エルサレム、ヘブロン、ヤルムテ、ラキシュ、エグロンの五王国はエリコやアイから南方にあります。この五王国からギブオンを救う為にイスラエルは交戦を始めたわけです。この点から言えば「カナン侵攻」には大義名分があり、単なる「侵略戦争」ではなかったのです。しかし、なぜ南進なのでしょう。シェケムまで向かったのです。西進・北進するのも可能だったはずです。しかし、そこには当時、最強の軍隊を持っていたペリシテ人がいくつかの都市国家を建設していました。「原始的な武器しかない、戦闘に不慣れな、少しも統率されていない」イスラエル軍が勝てる相手ではなかったのです。エリコやアイを攻略できたからと図に乗って、北進すれば大敗し、おびただしい数の犠牲者が出てしまうのは目に見えています。こうした点から、「未熟な兵士に過酷な戦闘をさせることは主なる神様のご計画ではなかった」のです。これも主なる神様の配慮です。
💗基督者の「試練の数々」を当時のイスラエル人の戦闘行為と考えるなら、神様は、未熟な信仰のままの基督者に「乗り越えられない試練を与えることがない」とも言いなおすことができるのです。小さな試練はより大きな神様の計画を遂行するための戦闘訓練とも言えるのです。
(3)ギブオンからの反撃が始まりました。恐らくギブオンの勇士たちも積極的に参戦したことでしょう。「勇士」とは、武術だけでなく戦術にも長けていることを指しています。地の利を活かした攻撃は恐らくギデオン軍なくしては考えられなかったでしょう。五王国の連合軍は俄かに編成された舞台です。王たちにはこの機に乗じて自国を拡大させたいとの思惑があって当然です。一角を崩せば総崩れとなります。ギブオン勝利の後イスラエルは敗走する連合軍を以下の様に追撃します。
①ベテ・ホロン…南北に連なる山地から西に流れる下り坂上にあり、ギベオンの北西約10kmです。
②アゼカとマケダ…イスラエル軍はべテホロンから約30km南南西にあるこの場所まで追撃しています。
主なる神様は、ここで雹の石を敵軍の上に降らせます。「イスラエルの子らが剣で殺した者よりも、雹の石で死んだ者のほうが多かった。(10:11)」とありますが、イスラエル軍が彼らを追撃する前に、主なる神様は逃走する敵軍を蹴散らかしていたことになります。ですからイスラエル軍は大した反撃を経験していないことになります。
(4)アヤロンの谷はベテ・ホロンの南南西に位置した低地にあります。ここで、ヨシュアの願いを聞いて「民がその敵に復讐するまで、太陽は動かず、月はとどまった。(10:13)と言う奇跡を行いました。天動説はここを根拠にしています。太陽や月が動かないということは「地球が停止する」ことに外なりません。地球が丸一日(24時間)も動かなければ重力はどうなるのでしょう。地上に生息するものは全て宇宙に放り投げられてしまうことになります。文字通り「宇宙にある太陽と月」ではなく、土着宗教で「太陽神」や「月神」を報じる人々のことを指しているという説があります。つまり主なる神「ヤハウェ」を奉じるイスラエルが勝利し、「太陽神」「月神」を奉じる先住民は全く手出しができなかったとの意味になるのです。私個人としては、こちらの考え方の方が腑に落ちます。
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(5)南進こそは初めから計画されていた「イスラエルの土地回復」のシナリオの一部でした。ヘブロンにはアブラハムの妻サラの為に、ヒッタイト人から買い取った墓所があります(創世記23:18~20)。ヘブロン人には既得権があるからと住み続けるわけにはいきません。元々の土地を取り戻すことを主張することを拒むことは契約違反です。持ち主に速やかに変換すべきです。彼らが力づくでそれを武力で阻止しようとしたのです。ギブオンの様に恭順な姿勢を取っていれば、彼らは難を逃れる可能性もあったのです。イスラエルには彼らに対抗する大義名分がありました。「兵はみな無事にマケダの陣営のヨシュアのもとに戻った(10:21)。」これだけの戦闘で犠牲者が出ないということも奇跡の一つです。五王国の連合軍ならばその規模も相当なものです。しかし前述したように、付け焼刃の連合軍はイスラエルの敵ではなかったのです。神様の戦いは物量には比例していないのです。
💗基督者にもこのような付け焼刃のような連合や連携はないのでしょうか。「規模が大きければ影響力がある」式の動機で連合したり連携したりはしていないでしょうか。あるいは大規模教会であることが、この世に影響力を及ぼすという考えに囚われてはいないでしょうか。戦後の基督者の伝道スタイルは正にこれでした。こうした連合連携そして規模化による成果は一時的なもので発展が見えないことが多いのです。さらに言わせていただくなら、主催者側の自己満足で終わってしまうことがあるのです。基督者は「他者には厳しく自分には甘い」という傾向があります。そのため、歴史的な過ちもそのままうやむやにされることも多かったのです。
(6)「ヨシュアはカデシュ・バルネアからガザまで、および、ゴシェンの全土をギブオンに至るまで討った。(10:41)」とあります。モーセは「カデシュ・バルネア」から12人の斥候を派遣しました。この時ヨシュアとカレブ以外の斥候はカナン侵攻を忌避しました。ホレブからカデシュ・バルネアまでは,直線距離で徒歩11日間の道のりだったのです(申命記1:2)。モーセ世代のイスラエル人は無政府状態で軍事力もありません。カデシュ・バルナアからそのまま北進すれば、確かに蛮族の餌食になるのは目に見えていたことでしょう。しかし、エジプトの手から守ってくださった主なる神の偉大な力をイスラエルはここで完全無視を決め込むのです。これは、紅海を渡って以降その後のイスラエルの歩みを決定づける十番目の反逆行為でした(民数記13・14章)。これによりイスラエル第一世代はことごとく荒野で死に絶えました。イスラエルがこの地に戻ってくるまで実に38年以上の歳月を要したのです。
💗基督者の人生にもイスラエルの様な長い年月のかかる寄り道をしなければならないこともあるのです。古き人を脱ぎ捨てることができるまでにかかる仕方のない年月です。しかし、ヨシュア記が示すように、この古き人が払拭できるのなら、その後の戦いは迅速になるのです。