最新情報

ヨシュア記2章

2024年6月18日

ヨシュア記 2章
=本章の内容= ❶遊女ラハブ❷赤いひも

=ポイント聖句= ヌンの子ヨシュアは、シティムから、ひそかに二人の者を偵察として遣わして言った。「さあ、あの地とエリコを見て来なさい。」彼らは行って、ラハブという名の遊女の家に入り、そこに泊まった。(21)

見なさい、私たちはこの地に入って来ます。私たちをつり降ろした窓に、この赤いひもを結び付けておきなさい。あなたの父、母、兄弟、そして、あなたの一族全員をあなたの家に集めておきなさい。(2:18)

=黙想の記録=

①何故斥候は遊女ラハブを選んだのか。
遊女と言うので現在の新宿歌舞伎町の様な風俗店を想像する人もいるかもしれません。また、アメリカ映画に出てくるコールガールやストリートガールを想像する人もいるでしょう。ヨシュア記の時代「神殿娼婦」と言われる人々が現在のこれらの人々に該当していると思われますが、遊女ラハブはだいぶ異なっていたと思われます。韓国には妓楼と呼ばれる娼婦館がありました。江戸時代の吉原遊郭に相当します。しかし韓国の妓楼では、両班と言われる特権階級や政府要人や外交官等の接待会場としても利用されていました。ラハブが城壁内に居を構えそこに妓楼を開いていたと考えたらどうでしょう。また、家族は血肉の家族だけではなく、その妓楼で働いていた者と考えるのはどうでしょう。もし、妓楼の元締めとしての「遊女」という立場にあれば、彼女には様々な情報が入り込むはずです。その常連客の中にはエリコの重鎮もいたかもしれません。外国人を客に取るのも不思議ではありません。国内外の情報が集まる場所とも言えるのです。妓楼や遊郭は、男性諸氏が一時でも遊女と情を交わすところで、男たちは気が緩みがちになり、必要以上の情報を彼女達に伝えていたかもしれません。エリコの軍事情報もあるいは筒抜けだったのではないでしょうか。斥候を逃す際に語ったエリコの兵隊たちの動きを熟知していたのはこれを裏付けるものです。斥候達に、こうした計算が働くのも当然とは言えないでしょうか。つまり、遊女ラハブの所に行ったのは偶然ではなく作戦だったと私は思えてなりませんでした。ヘブル語とカナン語はとても似ています。地域の衣装を身につけて潜入すればあまり目立つことはなかったでしょう。この斥候のことがばれてしまうまで、エリコ城内の警備は緩かったものとも思えます。つまりこのスパイ行為は意図した方法で機を照らしたものだったと言えるのです。
ところが、どこから漏れたか分かりませんが、斥候の存在がばれてしまいます。ラハブの所に官憲が来ましたが機転を利かせ、この斥候を逃亡させてあげるのです。ラハブは難攻不落のエリコより、イスラエル人に関する情報を取るのです。海を渡ってきた民族、二つの都市国家を滅ぼして来たことは事実と信じるのです。たとえ今までの様な華美な生活はなくイスラエルの奴隷として生きることがあっても良しとする信仰を彼女は持っていたと考えられるのです。場合によっては斥候は官憲に引き渡されたかもしれないのです。ここに神様の絶妙な配慮を見て取れるのです。つまり遊女ラハブは神に選ばれた人だったわけです。
そこで翻って自分の救いを考えてみました。職業に貴賎があるのなら、彼女は社会の最底辺にいたゴミの様な存在でした。でも神様はこうした人間さへも自らの御用のために用いられるのです。ゴミの様な存在である私をも神様の御用のために用いてくださる事に、とても深いご愛を感じました。
②亜麻の茎の束は何のためにあったのか。
「亜麻は初夏に開花し、小さな青い花をつける。古代より茎からは繊維、種子からは油を取るために栽培されてきた。」(聖書植物園より)
ラハブがこの亜麻の茎を所有していたとすれば、彼女は織物や被服の製作や灯油の精製までもしていたと想像できるのです。亜麻の束が人を隠せるぐらいうず高く積まれていたということは、これらの作業がそれぞれ大きな事業となっていたことでしょう。その作業をする工員の数も多かったはずです。してみると、ラハブが救いに導いたのは、数人ではなく数十人に及んでいたかもしれないのです。
たった一人の救いが、その後その人の関係者の多くにももたらされることを表しているのではないでしょうか。
③ラハブは何故「主(イェホバ)」と言ったのか。
十戒の中にも「わたし以外の神があってはならない(出エジプト20:3)」とありますが、異教の場合でも他の神名を唱えるのは無論ありえません。もしほかの神の名を挙げれば、制裁を受けるのは目に見えています。ここでラハブが「主」と正しい名前で神様を表現したということは、彼女がエリコの神を捨て、誠の神様を受け入れている証拠にもなるのです
④赤いひもが意味するもの
ここで使われている赤い紐の「赤」はヘブル語の「シャニー」で、緋色、深紅色を表しています。この色の色素はカイガラムシの一種の成虫をアルコールで煮沸して抽出するため、非常に手間がかかる高価なものでした。この赤い紐は恐らくラハブの所有物です。遊女たちが腰紐として使っていたものではないでしょうか。この紐の製作にも熟練した工員が必要です。
この赤い紐は城壁の外側に吊り下げられており、城門を閉ざした場合、外部の人間にはそれが見えても城内の人間には見えません。
私たちが日々に恵みを受け、また様々な窮地から救い出される、或いは人方ならず慰められるのは、城の内側、つまり、自分自身さへ分からない場合が多いものです。また、救いの計画が着々と進められているにも関わらず、それを内なる人は理解できないことが多いと思うのです。
⑤ラハブの赤い布と次章のヨルダン川徒歩の順番
この順番は、イスラエルがエジプトから脱出する際の、「門柱に血を塗ったこと」と「紅海を渡ったこと」様子と酷似しています。「過越」と「紅海渡が罪の世界からの解放なら、「ラハブの赤い紐」と「ヨルダン川を渡ること」は、第二の救い、つまり「キリスト者の勝利の生活」もまた、イエス様の十字架とと復活にその基盤があることを指示しているのです。

ヨシュア記

Posted by kerneltender