井戸に座ったのはなぜ
《なるほどThe Bible》2023/03/13
=井戸に座ったのはなぜ=
副題:花嫁を見つけに来たイエス様
《素人の聖書黙想法》No.3「串刺し方式」を利用してスカルの井戸での出来事を黙想してみた。すると旧約に記載されている井戸に纏わる3つの物語との類似点が浮かび上がってきた。
【参照聖句】
そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れから、その井戸の傍らに、ただ座っておられた。時はおよそ第六の時であった。ヨハネ4:6
①旧約で「井戸」を検索すると井戸が素晴らしい出会いの場となっていることが分かる。井戸は将来の花嫁候補を見つける場所となっている。列記してみるとの面白い事実が見えてくる。記者ヨハネはこれらの事件を意識して書いたのではなかろうか。
誰と誰の出会いか | 聖書箇所 | ヨハネ4章との類似点 |
アブラハムの従者とイサクの花嫁候補リベカ | 創世記24:10~29 | 「どうか、あなたの水がめから水を少し飲ませてください」
その娘は走って行って・・・ |
ヤコブとラケル | 創世記29:2~13 | 彼女は走って行って・・・ |
モーセとチッポラ | 出エジプト2:15~21 | 井戸の傍らに座った |
●三人の花嫁候補はいずれも初婚である。一方サマリヤの女はすでに5人の夫がいた。現在彼女は婚姻関係にない男性との同棲中でこの行為はユダヤ教では重罪となる。ここから黙想できるのはイエス様も花嫁候補を探しに来たとは言えないだろうか。しかしイエス様の場合上記の三人の純真無垢な乙女ではない。キリストの花嫁とは教会を指している(エペソ5:25、黙示録22:17)。ところがこの花嫁は純粋無垢な人間ではなく罪びとに数えられる者たちのことを指している。エペソは教会に「傷がないものとなった」と表現し傷を負っていたものが選ばれていることを暗示している。また黙示録では「渇くものは来なさい。いのちの水の欲しい者」との表現は正に未来の花嫁である教会の一部となったサマリヤの女性を彷彿とさせる。
●私達基督者は完全無欠だから選ばれたわけではないむしろその逆である。この選びに感謝。
②この女性は「キリスト」と「メシヤ」と言う言葉を使っている両方とも「救世主」の意味であるが、キリストはギリシャ語メシヤはヘブル語である。なぜ使い分ける必要があるのだろう。これはヨハネの意図を感じさせる。それはイエス様がユダヤ教だけの救世主ではなく世界の人々の救世主となったことを表現したかったからだろう。サマリヤの女性との出会いはこうした意味も持たせている。
※こうした記録を残す際、やみくもに列記したのでは伝わるものも伝わらない。ヨハネの親戚には多くの宗教指導者がいたはず。するとヨハネは旧約の数々の物語から書き方のヒントを得ているはず。