ヨハネの福音書17章

ヨハネの福音書17章
=本章の内容=
イエス様の祈り➊十字架の業で成し遂げる確信➋基督者の確信
=ポイント聖句=わたしは、彼らのため、わたし自身を聖別します。彼ら自身も真理によって聖別されるためです。(17:19)
=黙想の記録=●本章のイエス様の祈りは、これから十字架に架けられ、肉体的にも精神的にも苦痛を経験される方のものとは到底思えません。イエス様の目は、十字架の苦しみを通り越し、すでに人類救済事業の完成に確信をもっておられるようです。また節々に喜びを感じさせるものです。本章のこの祈りには「命乞い」や「自己憐憫」の言葉は一切見当たりません。
●まず前半部分では十字架の業に対する確信を父なる神様にご報告するものです。この部分でイエス様は、父なる神様から託された「神の子としての務め」の結果を「栄光」と言う言葉で全て置き換えています。神の子としての務めとは、「自らの王国をこの世に築くこと」や「自らがこの世の統治者になること」ではありませんでした。その務めとは人類に①「永遠のいのちを与えられること」と②「父なる神が唯一真の神であると知らせること」と③「御名を明らかにすること」でした。
●①の「永遠のいのちを与えられること」とは、人間の如何なる努力の成果ではなく、神様の一方的な慈悲により、メシヤが人類の罪を背負い十字架で神の罰を受けるという贖罪の業によって成し遂げられるということでした。②の「父なる神が唯一真の神であると知らせること」とは、歴史上に登場する全ての統治者もまた人間が創り出した神々は全て偽物であること。創造主にしていのちの根源である唯一の神だけが神であることを示すことでした。③の「御名を明らかにすること」の「御名」とは、ヨハネの福音書で使われた「わたしは~である」の「~」にあたることです。つまり、「父なる神、子なる神、聖霊なる神のご神性」そのもののことを我々に初めて明かしてくださったことを意味しています。同時にイエス様のご生涯を通して神様の御性質を知ることでもありました。これが「御名を明かす」の意味です。
●後半部分では「基督者の必要性の為」の祈りです。この部分は基督者の持つべき確信をわたしたちに教え諭しているものです。①「基督者の帰属先」②「基督者の聖別」③「基督者相互の一致」をその祈りに盛り込んでおられます。
●①「基督者の帰属先」ですが、9節で「彼らはあなたのものだからです。」と「基督者となったからには父なる神様が保護者であり、その庇護のもとに生活できる」という確信を与えてくださっています。②「基督者の聖別」ですが、この世にとって基督者は大変目障りな存在で、基督者をサタンカラーに染めあげようといつも狙われている存在であるため、私たちはこの世に居ながらこの世に根を張ってはいけないこと、この世の幸せのスケールを用いないことを確信させてくれます。③「基督者相互の一致」とはイエス様が天に召されたのちにスタートする「教会の新秩序」つまり「愛による一致」であることを確信させてくれます。その一致は父なる神様と子なる神様の関係性が模範となるのです。それは「惜しみない愛」であり「従順」を具体的に教会生活で具現すべきものです。
●ポイント聖句の「わたしは、彼らのため、わたし自身を聖別します。」とは十字架に架かることです。イエス様も弟子たちに「日々自分の十字架を負い」と仰られた意味は、「聖別」つまり「肉の欲」「この世の息遣い」を十字架に付けることを意味しています。「人生の不条理と思える艱難辛苦を経験せよ」という意味ではありません。