ヨハネの福音書14章

=本章の内容=

➊父の家➋道➌父なる神➍助け主

=ポイント聖句=

わたしが父におり、父がわたしにおられるとわたしが言うのを信じなさい。さもなければ、わざによって信じなさい。(14:11)
しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。(14:26)

=黙想の記録=

●本章は、父なる神、子なる神、聖霊なる神、三位一体の神が同一のご神性を持っておられること。人間に対する今後のそれぞれの関わり方を説明しています。

●本章で、父なる神は、信じるもの全てに「永遠の住まい」を与えてくださると紹介しています。「住まい」はこの地上では休憩や寝る為の生活空間です。また個人の秘密を隠しておける場所でもあります。ですが、神の国でそれらの必要がありません。また地上の体のことを天幕(テント)と表現しているところもあり、各種に災難でたちまち破壊されてしまう一時的なものでもありません。ここで紹介さる「住まい」」とは建造物ではなく、永遠のいのちの入れ物のことで傷つくことも朽ちることもない完全なものです。(コリント第二5:2、4)また、サタンに支配されることもありません。私たち基督者の到着地点は、死もなく、悲しみ、叫び、苦しみも、涙もない新しい天の住まいなのです。(黙示録21:4)

●そもそもイエス様は何故召天される必要があるのでしょう。それは、地上生涯の目的は全て果たされ。もはや地上にいる必要がないからです。元の場所に戻った訳です。ところで、イエス様は甦ったあとで父なる神の御許に戻られました。元居た場所に戻られた訳です。殉教したステパノがイエス様の様子を垣間見た時、彼は「神の右の座に座られる方がイエス様である」と認識できました。つまり、現在、イエス様は、のんびりとお過ごしになっているわけではなく、神の権威を戻され、それを行使しながら、来るべき日の為の準備をなさっているのです。それは基督者との婚礼の日であり、この世に裁きを下す日のことです。

●前述しましたが、イエス様の神性は、そのまま父なる神様の神性でもあります。イエス様がこの世で表現された言動は、全て、寸分違(たが)わず父なる神様の言動でもあります。イエス様がこの世で発露した思いは、全て父なる神様の思いです。「神」は高い天でふんぞり返って、人間を傍観している方ではありません。イエス様のお姿を見れば、父なる神様が今どのような思いで、私たち一人一人を見ておられるかが伺えます。父なる神様は、いつも、私たちの保護者として、私たちを大事に取り扱ってくださっていることがイエス様のご様子から伺えるのです。

●さらにイエス様は天に戻られ無関心を装ってはいません。もう一人の助け主「聖霊なる神」様に、基督者の生涯を共に歩まれることを委ねられました。様々なことを一斉指導ではなく24時間体制で個別指導してくださる方としてです。私達が眠ることはあっても聖霊なる神様は睡眠も休息も取らずにです。しかも聖霊なる神様は、移ろいやすい「知識」ではなく、不動の「真理」を教えてくださる方です。その真理は全てイエス様がお持ちで、そのご生涯で全て表現された物です。