棒切れでなく指で書いた文字?

≪なるほどTheBible≫2021/10/20
=棒切れでなく指で書いた文字?=
【参照聖句】彼らはイエスを告発する理由を得ようと、イエスを試みてこう言ったのであった。だが、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた。ヨハネ8:6(新改訳2017)
💙姦淫の現場から連れてこられた女性をイエス様がどの様に取り扱うか、ユダヤ教の高僧達が固唾をのんで身構えていた時の様子が描かれています。仮にその女性を無条件で解放することでもあれば、律法を蔑ろにすると責め立てられます。もし、解放しなければ愛をスローガンとするこのグループは見掛け倒しとなってしまうのです。どちらに転んでも、イエス様を貶める為の算段が見てとれるのです。
💚ところで、ここでイエス様がご自身の指で地面に書かれた文字は一体何だっのかとの素朴な疑問が湧いてきませんか。石畳が多いエルサレム。指で何かを描けるくらい柔らかい土壌はそんなに多くはありません。映画で確認すると城壁の外で民間人が住む場所が事件現場の様です。また映画で確認すると、親指を使っていたり、人差し指を使っています。こんなことをして指を傷つけることはないのしょうか。破傷風のことが気になって今時では子供だってこんな真似はしないでしょう。 棒切れを見つけてそれで書くこともできたのに。何故、指なのでしょう。また何を書いているのか民衆には判読不能でもユダヤ教の高僧には読めていたのかもしれません。以下は私の想像による推理です。
💚旧約聖書には「指で何かを書き記す」の行為で、二つの大事件がありましたね、その一つは出エジブト記(31:18)にある石板に書き込まれた「十戒」です。もう一つはダニエル書(5:25)にある宮廷の壁に描かれた「メネ、メネ、テケル、ウ・バルシン」です。ただしこれは何語にも当てはまりません。外来語をカタカナで表現する様に、この文字はダニエルにしか読めない秘密の文字で、後世、そのカタカナ表記は知られていても、その文字の形は極限られた人物にしか伝えられなかったと思われるのです。前者はイスラエル人に託された「律法」であり、後者はイスラエルを支配した国王への「警告の預言」です。どちらも指は見えてもお姿全体を見ることはありません。前者は読んで聞かせたものであり以降神の箱に安置され続けますが、後者は王国の破壊とともに跡形も無くなっています。十戒を与えられた人物とこの謎の文字を解き明かした人物のその共通点は神様への従順であり、聖潔な生活を送っていたことです。
💚イエス様の指で何かを書いているご様子を見てユダヤ教の高僧達はこの二大事件を思い出さぬ筈がありません。イエス様を預言者の一人と目していた高僧たちは棒切れではなく指で直接描いている姿にハッとしたのです。
💙律法は「姦淫してはならない」とだけ書かれているものではありません。更に姦淫の現場にはこの女性だけでなく、男性も連れて来るのが当たり前なのですが。場合によるとこの男性は彼ら高僧達のお仲間だったかも知れません。この女性だけを人身御供として悪者扱いするのはとても不公平です。この現場には多くの誤魔化しがあり、民衆もそれに気づいているのです。更に、本来他人を断罪するのが律法ではなく、神と歩む為の指針が認(したた)められたのが律法です。神殿近くで律法を熱心に研究しているわけでもなく、こんな民間人のいる場所でウロウロしていることは彼ら自身が怪しい生活をしていることに他ならないのです。かの二人の偉人の様に、神を第一にする聖なる生き方を香らせる要素は何一つ無いのです。
💙イエス様が「罪のない者から」と言われた時に、自分の中に巣食う誤魔化しだらけの信仰生活や他者との関わりを避け、ただただ傍観するだけ無作為の罪を咎められていることに気付かされたのではないでしょうか。
❤️さらにその言葉を投げかけられる前のイエス様の行動は、既に無言の返答であったのです。身を屈めた場合、彼らの視線は否が応でも指に注がれます。そしてその指で書かれた文字は、高僧達にしか伝えて来られなかった秘密の文字。ナザレ出身の無学な田舎者であるイエスが知る筈のない聖なる文字。つまり「メネ、メネ、テケル」という警告の預言だったと思われるのです。指先でこの聖なる文字をスラスラとかける人物こそ神から遣わされた方と認めざるを得ません。ならば高僧達の誤魔化しの信仰生活は既に聖なる神様に測られ裁かれていることに気付き彼らは身震いしたのではないでしょうか。