ヨハネの福音書2章
ヨハネの福音書2章
=本章の内容=
しるし➊カナの婚礼➋宮清め
=ポイント聖句=母は手伝いの人たちに言った。「あの方が言われることを、何でもしてあげてください。」(2:5)
そこで、ユダヤ人たちは言った。「この神殿は建てるのに四十六年かかりました。あなたはそれを、三日で建てるのですか。」 しかし、イエスはご自分のからだの神殿のことを言われたのである。(2:20~21)
=黙想の記録=●エルサレムからナザレまでは北へ140km。そしてナザレからカナは北14kmの距離にあります。ナザレもカナもガリラヤ地方にあり、自然の森(主にカリプリノス樫)に覆われていて温暖湿潤で農耕や畜産をしやすい場所です。エルサレムを東京とするなら、この地域は地勢的にも文化的にも、北関東圏にあたると思います。ナタナエルの故郷でもあり、また王室の役人の息子が癒された場所でもあります。
●「しるし」の意味は多岐にわたります。英語では「sign」「miracle」で、ギリシャ語では「セマイアン」このギリシャ語の意味は、「符合、標識、印、跡、象徴、兆候、前兆、認証」などの意味の他に「異常な出来事、超自然現象」の意味があります。ヨハネが規定している「しるし」とは、イエス様が「神の子」であることの証明のことです。
●イスラエルでは日曜日が第一日ですから三日目とは火曜日を意味します。日本でも大安吉日があるのと同様に、イスラエルでは火曜日が吉日とされています。ここで言う婚礼は結婚式ではなく披露宴のことで、親戚縁者以外の人々も参加することができます。想像ですが、母マリヤとイエス様にとっても近しい親戚であり、母マリヤがぶどう酒のことを気にするくらいですから、マリヤは接待する側にあり、責任を持っていたのかもしれません。それ故に、イエス様一行が招かれても不自然ではないのです。しかし、考えても見てください。イエス様御一行様は少なくても12人以上いる訳ですから、用意周到に準備しても食事やぶどう酒が足りるはずはありません。「母がイエスに向かって「ぶどう酒がありません。」と言ったのには二つの理由があります。第一の理由は「これだけ多人数を連れてきたのだからあなたもその責任を取りなさい」という呟きとも聞こえるものです。第二の理由は「これだけ人気が出てきたのだから、ここにいる大勢の人に奇跡の一つでも見せて、お前のしようとすることを公にしたら。」というものです。マリヤはイエス様が「神の子」であることを誕生以前から神様に示されていました。マリヤ一家の大黒柱として一家の為に犠牲を払ってきた我が子を不憫に思い、またイエス様の将来を案じる母親心が第二の理由の要因と思われます。しかし、神様のご計画のスタートを人間の意志や欲求によって前倒ししたり、遅延したりはできません。神様のタイミングがあるのです。母親マリヤの心遣いを知らないイエス様ではありませんが、ここで「神の子」の主なる神の前での立場を鮮明に教えるために「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません。」と一見冷たい言葉をかけるのです。しかし、マリヤが、この言葉の真意を受け止めることのできたのを見て、イエス様は奇跡を行うことができたのです。しかしこの奇跡はあくまでも「隠密裏」で行われた為、参加者全員が認識するものではありませんでした。また奇跡の内容は「物質を全く異質なものに変える」意味があり、「人を造り変える」為に来臨された神の子の特性を表したものです。
●宮清めは、イエス様の最後の一週間の第二日目です。捧げもの自体に問題があるのではなく、ローマ貨幣からユダヤ貨幣に両替をする行為や、動物を商売の道具として正々堂々と売りさばく行為を責められたのです。本来これは宮で行うべきものではありません。もしイエス様が社会変革を起そうとするリーダーであろうと思ったのなら、政治的に賢く立ち回ったことでしょう。資金力も必要だったことでしょう。しかし、この時のイエス様がとった態度は「神の子」としての威厳を表すこと、つまり、「神は聖である」ことを示す為であったのです。メシヤを単なるこの世の変革者程度にしか思っていなかった宗教指導者にとって、この行為は肩透かしを食らった様だったのです。重箱の隅を突くようなイエス様の行為は、「弱腰のイエスの正体見たり。」との思いに駆られた指導者は今度は口撃(こうげき)を加え始めるのです。ところが、イエス様は彼らに不可解な返答をするために混乱は大きくなる一方でした。「しかし、イエスは、ご自身を彼らにお任せにならなかった」とあるように、民衆の期待するメシヤにはなることは決して父なる神様の御心ではないと知っておられたのです。御心に従い抜くことも「神の子」としての証拠になるのです。