ヤコブの手紙 5章

=本章の内容=

❶富める者への警告❷耐え忍ぶ➌祈り

=ポイント聖句=

あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。(5:13)

=黙想の記録=

●ここで言う富める者はユダヤ教の教師達の事を指しています。華美な生活や煌びやかな装飾品を身に纏うことが彼らのステイタスでした。とても単純な人々なのですが、富む為の手段を選ばず、貧しい者からも平気で搾取する、妙に悪知恵の働く人々であった事がこの箇所から容易に伺えます。こう言う人物は「耐える」事がとても苦手です。
●苦難、苦労、辛苦、苦杯など「苦」を使った熟語を思い出します。基督者になる前まで、「苦難を乗り越えろ」「苦難に打ち勝て」と言う勇ましい言葉がどれほどハードルの高い物かとかえって怯えて「苦難を避け」できました。基督者になったらいつでも何の心配も無いお気楽な生活が始まると想像している自分がいました。超能力の様な神懸かり的な「忍耐力」が直ぐにでも身につくと錯覚していたのです。
●ところが聖書のどの箇所を読んでもこの超能力のことは出てきません。かえって苦難は訓練の一つで御霊の実が身につく迄、何種類も何回もあると記されているのです。試練は別名テストです。神様のテストは落第させるものではなく、自分の欠落した部分を指摘し、新設または修復させるきっかけにするものです。以前英検3級を二度落ちた中学生がいましたが、結果が分かった時の彼の気持ちは痛いほど伝わってきました。その後再挑戦しようとする姿勢に指導する側も自然と力が入っていた事を思い出します。私達が忍耐する前に神様はその何百倍もの忍耐を持って応援して下さる方です。これを事実として信じる必要があります。そうでないと直ぐに諦めの境地になってしまうからです。
●基督者になる前は苦難に遭遇すると直ぐに自己憐憫に陥ったり失望したり、挙げ句の果てには腐ったりしていたものです。聖書の中で、苦難に遭遇した時に、「祈る」や「賛美する」が、その苦難を緩和する方法であり、解決に導く原動力である事を教えています。また、直ぐ近くには、迷っている時にも、困った人になっていたとしても私達に手を貸してくれる主にある兄弟姉妹が沢山いるのです。
●ヤコブ書の最後はこうした主にある兄弟姉妹の存在が書かれている事にとても納得できるのです。なぜならイエス様の兄弟でありながら少しもイエス様を理解できなかったのに、赤の他人のはずの人々が今では、自分を助けてくれる兄弟姉妹となっているのですから。