ヤコブの手紙 1章
ヤコブの手紙 1章
=本章の内容=
❶試練❷疑いのない信仰➌誘惑❹御言葉の実践
=ポイント聖句=その後、キリストはヤコブに現れ、それから使徒たち全部に現れました。(コリント 第一15:7)
私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。(1:2)
●本章の作者はイエス様のご兄弟です。復活を目の当たりにするまで、イエス様への信仰は微塵もありませんでした。パウロが復活について語るとき、筆頭に掲げたのがこのヤコブです。どんなに身近に居ても本当の救いを理解出来ない人物の代表例でした。
●ヤコブの手紙には教理らしき教理はなく、基督者としての信仰生活の実践方法がかなり多く書かれています。本章では特に試練について多くを学べるところです。
●「時」は、点と線と面から成り立っています。それは「点=一瞬」「線=期間」そして「面=内容」です。これらは「試練」の様子そのものです。試練は驚くほど一瞬で訪れます。試練は呆れるほど長期間継続します。そして試練は不可解で理不尽で理解し難い面があります。
●「試練」は何の為にあるのでしょうか。それは第一に「基督者としての資質を高めるための訓練」と言えます。この試練によって御霊の実を実らす事が出来るのです。第二に「他者への証と学びとする為」です。試練を受けている兄弟姉妹を見聞きして、私達は大いに励まされ慰められるではありませんか。そして第三に「試練は神の栄光となる」為です。当事者も目撃者も共にその試練が神の御技と分かるからです。
●後半に使われている「宗教」と和訳されているこの単語はギリシャ語ではトレスカイヤで、宗教・崇拝・宗教儀式などの意味があります。これは明らかにヤコブ自身が育てられてきた環境であるユダヤ教を指しています。ユダヤ教の律法が、本来人間性を高める為深める為のものであったはずが、いつのまにか他者と比較し優劣をつけたがる道具に成り下がってしまったことを批判しているものと思われます。
●私達の信仰はヤコブが指摘した様な宗教に成り下がってはいないでしょうか?私達の信仰は私達自身を昂める為のものではなく、他者の為に用いた時、その効果を発揮できるものなのです。