へブル人へ手紙 13章
ヘブル人への手紙 13章
=本章の内容=
❶基督者としての実践生活❷キリストに倣うとは➌祈りのサポーター
=ポイント聖句=ですから、イエスも、ご自分の血によって民を聖なるものとするために、門の外で苦しみを受けられました。ですから、私たちは、キリストのはずかしめを身に負って、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか。(13:12~13)
=黙想の記録=●大規模な迫害が間近に迫っているおり、ユダヤ教の原点に回帰してもそこに救いはない。また刹那的な幸せは掴めても、そこに永遠に繋がるものは何も無い。形式的信仰は自己満足で終わり、揺るがすことのできない平安はそこでは掴むことが出来ない。10章に至るまで作者は、原点回帰派の虚しさを説いてきました。11章12章ではユダヤ人の父祖を例に取り、正しい信仰のあり方を説明しました。そして最終章では、これらを踏まえ基督者として信仰の適応方法を勧めています。
●この章の根底に流れるのは、「自分の幸せを願う前に、他者の幸せとなる生き方を実践せよ」ということで、ここでは、もてなし、兄弟愛、思いやりを持って他者と関わることを勧めています。特に警戒すべき人間性は性的欲求と金銭欲で、これらを避ける様勧めています。また、持ち物を他者に頻繁に施すこと、指導者によく従うことも勧めています。
●イエス様が罪の贖いを行なったの場所は、人々の注目が集まる神殿ではありません。人々が日々近寄ることを避ける、また目を背けるおぞましい場所、つまり刑場でした。宿営の内側は生活するのに快適な場所です。宿営の外は寒風も獣も襲ってくる場所で安全な場所ではありません。ここで作者は敢えて「キリストのはずかしめを身に負って、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか。」(13:13)と勧めています。「みもとに行く」と は、基督者の到着地の御国ではありますが、同時に、イエス様の身丈にまで成長することを意味しています。
●この信仰生活には自力で決して到達できません。ヘブル人への手紙を書いたのがパウロとするのなら、この偉大な人物をしても、祈りのサポーターなしには信仰の成長も、主の奉仕を遂行などできないことの教えを最後の挨拶文に込めているのが分かります。