へブル人へ手紙 7章

ヘブル人への手紙  7章
=本章の内容=

❶メルキセデクとの類似性❷メルキセデクの祭司とての特異性➌大祭司イエス

=ポイント聖句=

彼はアブラムを祝福して言った。「祝福を受けよ。アブラム。天と地を造られた方、いと高き神より。あなたの手に、あなたの敵を渡されたいと高き神に、誉れあれ。」アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えた。(創世記14:19~20)
また、このようにきよく、悪も汚れもなく、罪人から離れ、また、天よりも高くされた大祭司こそ、私たちにとってまさに必要な方です。(ヘブル人7:26)

=黙想の記録=

●ユダヤ教への原点回帰派は、「イエス様が神と人との仲介者であるはずがない」と主張して止まないのです。第一にレビ族またはアロンの家系では無い。第二にイエス様はエルサレムで大祭司としての実績が一つも無いのです。そこで本章ではメルキセデクをもう一度取り上げイエス様との類似点を説明したのです。
●6章では律法の創始者であり完成者であるモーセと対比してますが、唯一の創造主への信仰の始まりはアブラハムからなので、このアブラハムと神を結ぶ仲介者メルキセデクを本章で更に登場させたのです。メルキセデクは神ではありません。ましてやイエス様ご本人ではありません。アブラハムに神の祝福を与えた人物です。ということは、レビ族の家系から出ない人物も祭司として、信仰の始祖アブラハムが認めていることになるのです。このメルキセデクの登場はソドム王と同一箇所に出てきます。ソドム王は戦勝者アブラハムに同盟を結ぶべく貢物を持参してやってきたのですが、アブラハムはこれを頑なに拒否しました。しかし、メルキセデクには、自らの持ち物の中から選び出した一級品を捧げるのです。メルキセデクもサレムの王でした。同じ王なのにこの違いは何でしょう。その理由はメルキセデクがアブラハムと同じ「いと高き神」を信奉していたからに他なりません。更にメルキセデクの高潔さは、民の平和や正義を持ってその住民を治めている姿を目の当たりにしていたからです。
●メルキセデクの祝福の言葉によほど感動したのでしょう。アブラハムがソドムの王に放った言葉の中に冒頭の聖句の一文(創14:22)が使われている程なのです。メルキセデクは旧約の中でたった二箇所しか出てこない地味な人物ですが、実はユダヤ人の信仰の父に多大な影響を与えたと言えるのです。
●イエス様には大祭司に繋がる家系はありませんが、神様がメルキセデクを特別に任命されたのと同様にイエス様を大祭司として直接任命したとしても決して間違いでは無いのです。このイエス様が大祭司としての職務を全うされた時期と場所があの十字架だったのです。