へブル人へ手紙 3章
ヘブル人への手紙 3章
=本章の内容=
❶モーセとイエス様の対比❷不完全だったモーセとユダヤ人の歴史
=ポイント聖句=しかし、キリストは御子として神の家を忠実に治められるのです。もし私たちが、確信と、希望による誇りとを、終わりまでしっかりと持ち続けるならば、私たちが神の家なのです。(3:6)
=黙想の記録=●ユダヤ教で育ち洗練されてきたユダヤ人にとって、自分たち以外の異邦人が教会の中心になって行くことは屈辱以外の何物でもありません。原点回帰はこうした選民意識がもとになっています。1・2章では霊的世界の御使いと神の子なるイエス様を対比しました。本章ではモーセとの対比を展開しています。モーセは、ユダヤ人に取ってのヒーローであり、当時の救世主であり、ユダヤ教の創始者そして完成者だったわけです。彼らの生活のモーセを起源としているのです。ところがモーセの救いはユダヤ人限定であり、エジプトからの脱出と言う限定した救いしかもたらしません。しかもモーセは最期に大きな失敗、つまり感情で岩を叩く(民数記20章)ということをしてしまい神様の信用を失墜してしまうのです。イエス様は救い主です。しかもその救いは全時代の全世界の国民の為の救いでスケールがまるっきり違うのです。
●ところが原点回帰してしまうユダヤ人は民族として「選民意識」を除いたら異邦人となんら変わらないばかりか、その意識が教会という新しい環境ではかえって邪魔になることを感じ取っていました。「教会」では「兄弟姉妹の関係」はあっても「師と弟子という関係」は構築できません。さらに「他の信徒に徹底して仕える生活」であっても「他の信徒を支配する生活」は望めないのです。これは全世界を治める国民となることを約束された神の約束とも違います。
●現代の教会に適応するなら「選民意識」を持っている人とはどんな基督者のことでしょう。突き詰めればごく些細な優越感を抱く基督者、教会に仕えることができない軸足がずれてしまっている基督者とは言えないでしょうか。教会を離れ信仰の破船に遭っている主にある兄弟姉妹の中にもこの「選民意識」という病気に苛まれてしまった方もいるのではないでしょうか。もし。こうした兄弟姉妹が本来の信仰に戻ることができたのなら、教会は大きなリバイバルを引き起こすことができるでしょう。残念ながら現代の教会は、新規来会者には熱心にアプローチするものの、一匹の迷いでた羊を探し出そうという方向には向いていないのです。切り捨てることはとても上手ですが、つなぎ合わせることが苦手なのが教会なのです。