ガラテヤ人への手紙 3章

ガラテヤ人への手紙 3章
=本章の内容=
❶信仰の父アブラハム❷律法ののろいとキリストの死➌変更しない約束❹養育係としての律法
=ポイント聖句=こうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。しかし、信仰が現われた以上、私たちはもはや養育係の下にはいません。あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。 (3:24~26)
=黙想の記録=●パウロは律法は聖なるもので「律法を遵守できる人」はキリスト以外に存在しないことを述べています。しかし、律法がこの世に出現する前にユダヤ人の父祖アブラハムが「信仰」によって主なる神に受け入れられている姿を見ることができるのです。また律法が与えられる前にユダヤ人が主なる神を信じ、モーセに人生を託したからこそ、圧政のエジプトから救い出されたのです。つまり律法の出現前から、全人類は信仰によって神に受け入れられ、また救い出されることが、創世記や出エジプト記で書かれていました。救いとは斯くも単純なこと。しかし偽教師は、プロとアマの線引きをしたかったのです。単純な救いの原理を難しくしたのはこの偽教師です。こうでもしなければ、彼らの商売は成り立たなかったからです。
●現在基督者でもこの偽教師同様、プロとアマの違いを主張する人がいますが、この人たちにとっては「先生と生徒の関係」はあっても、「兄弟姉妹という関係性」を築くことなど端から頭に無いのです。「信仰を育ててくれる人物」こそ、真の教育者養育係なのです。さらに言うなら「いつまでも哺乳瓶から乳を与える優しい人」ではなく「学ぶ方法を学ばせてくれる(食べ方を教えてくれる)人物」こそが真の「共育者」です。共に歩み共に学んでくれる、言うなれば同じくびきを負ってくれる人物のことです