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ガラテヤ人への手紙 2章

ガラテヤ人への手紙 2章
=本章の内容=

❶啓示後にエルサレムに上ったこと❷異邦人への使徒➌ケパへの非難

=ポイント聖句=

しかし、彼らが福音の真理についてまっすぐに歩んでいないのを見て、私はみなの面前でケパにこう言いました。「あなたは、自分がユダヤ人でありながらユダヤ人のようには生活せず、異邦人のように生活していたのに、どうして異邦人に対して、ユダヤ人の生活を強いるのですか。(2:14)

=黙想の記録=

●偽教師は「私たちもパウロもエルサレムにいる使徒たちの教えをそのまま伝えているに過ぎない。」と言っているのです。ですが、パウロはイエスキリストから直接啓示を受け、使徒の誰からも教えを請うたことはありません。パウロは高名なラビから教育されていたパリサイ人中のパリサイ人で律法の本質を知り抜いている人物です。エルサレム教会の主要メンバーでさへも「基督者と言えども律法遵守すべし」との偽教師の教えに振り回されていました。エルサレム教会の主要メンバーは異邦人にも受け入れられてしまう単純明快な福音にどうしても馴染めないところがありました。また偶像礼拝に浸っていた異邦人に主なる神の偉大さが分かるものかとも感じていたのです。
●ですからエルサレム教会では、「食事のとり方とか割礼」という外見的末端のことばかりを突いていて、「異邦人がしていないこと」つまり「自分たちの信仰の正当性」ばかりを気にすることになってしまうのです。これではイエス様が何のために十字架に付いたのかさへ有耶無耶にされてしまうのは当然でした。エルサレ教会でこんな混乱が起きているのですから、ガラテヤ教会を騙すことなど赤子の手を捻るくらい単純だったのです。1章でも述べましたが、偽預言者の目的は多くの信徒から搾取することです。律法はその道具にしか過ぎなかったのです。律法に一番慣れ親しんできたイスラエル人の不信仰の歴史を見てください。この歴史が律法では魂が救えないことを指し示しているのです。
●現在の基督教会にもこのエルサレム教会と酷似しているところはないでしょうか。「自分たちの教えがベスト。他教派の教理では不足するものがある。神学をきちんと習わない平信徒に何が分かる。」と言わんばかりに。基督者が基督者を尊敬できないのです。「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。」(ピリピ2:3)の御言葉が実践できない理由はなんでしょうか?