「芯切りばさみ 」は「心切りばさみ」ではない
なるほどThe Bible2022/08/26
=「芯切りばさみ 」は「心切りばさみ」ではない=
【参照聖句】また、ともしび皿を七つ作った。その芯切りばさみも芯取り皿も純金であった。出エジプト記37章23節(新改訳2017)
💙恥ずかしい話ですが、ここに登場する「芯切りばさみ 」を発音だけ覚えていて、てっきり「心切りばさみ」、つまり、捧げられる動物の心臓を切り取る道具と勘違いしていました。
💙「仏壇に置かれたろうそくの火は口で吹き消すのではなく、手で扇いで消すこと。仏壇や灯されている火に人間の不浄の息を吹きかけるのことは、仏に対して甚だ非礼となる」と私の親から教えられてきました。でも手で扇いでもなかなか消えない場合は、親指と人差し指で燈心を摘んで消した時もあります。これもまた同様に非礼なのだすが。寺で行う法事で、確かに和尚さんが手で扇いで消していたのを見たことがありますが、本当はこれも正しくはなく、「芯切りばさみと芯取り皿」を使うのが正式だそうです。そもそも人間の息や手は不浄なものとされ、これらを使った消火は非礼にあたるのだそうです。
💚ところが、息や手で消火することには、もっと現実的な問題もあったようです。火の付いているろうそくの芯を吹き消したり、手で扇いで消そうとするのは、とても危険なのだそうです。この方法では、溶けたロウや灰が周りに飛び散り、この飛び散ったロウや灰に引火してしまうおそれがあるとのことです。そこで、利用されるのが「芯切りばさみと芯切り皿」なのです。これらを使えば、 安全にきれいに火を消すことができるわけです。
💚振り返って旧約聖書に出てくる芯とはろうそくの芯ではなくオイルランプの芯の事です。神殿では「芯切りばさみと芯切り皿」を使いますが、イスラエルでは現在でも一般家庭で催事の際、オイルランプの場合もろうそくの場合も消えるまで点けておくそうです。また、通常時は「芯切りばさみや芯切り皿」を使うそうです。また、キャップを被せて消す場合もあるそうです。
❤️神殿は神の子イエスキリストの型です。神殿に灯された火を消すのに、人間の手は直接加わりません。道具を使うのは無論人間ですが、息を吹きかけたり、手で揉み消したりはせずに、芯切りばさみや芯切り皿が利用されています。更に純金製です。純金は「栄光の主」を表現する金属ですから、この道具を使って消火することには、やはり特別な意味、「主なる神様の関与」があると思われるのです。
❤️「消火するとは光を落す」ことを意味します。また「光はキリストの命」を表しますから、「神殿の光を落すとは、十字架で神の子の命を奪う」ということにならないでしょうか。更に主なる神様を表す純金の道具を使うということは、つまり、「十字架での死は人手によることではなく、栄光の主=父なる神御自身の手の技である」と考えられるのではないでしょうか。
❤️そしてキリスト者が命を落すことも同様です。キリスト者の死には意味があります。天寿を全うする様な時も、また齢半ばで召される時も、それは神様の御意志が働いています。
❤️活かされたい、もっと生きていたいと欲するのはごく普通の思いです。しかしこれさへも神様の御手のうちにあります。ですから、「キリスト者の生活も、神様が良しとされるまでしぶとく生きようとし、また、神様が押し出してくださると確信出来るまで、びくとも動かない覚悟が必要だ。」ということにはならないでしょうか。
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私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。ピリピ人への手紙1章21節(新改訳2017)
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