しもべと弟子の違い?
なるほどThe Bible2022/08/04
=しもべと弟子の違い?=
【関連聖句】ご機嫌取りのような、うわべだけの仕え方ではなく、キリストのしもべとして心から神のみこころを行い、人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい。エペソ人への手紙6章6~7節(新改訳2017)
💚「しもべ」は、旧約で482回、新約で130回(書簡・黙示録で38回)も使われている単語です。また、「弟子」は旧約で3回、福音書で316回、書簡で1回出てきます。この数字を比較するだけでも、基督者が求められている姿勢は「しもべ」であるとは言えないでしょうか。
💚私たち基督者に要求されているものは「しもべ」です。しもべ(僕)は「雑用に使われる者」で、弟子は「学問や技芸の教えを受ける人」のことを意味します。明らかに立場の違いがあります。さらに人に使われる点では「奴隷」も「しもべ」と同様なのですが、奴隷には人間としての自由や権利はありません。しもべは奴隷ではありません。
❤️しもべは「衣食住が保証されています」。俗な言い方をすれば、しもべでいる限り「決して食いっぱぐれがない」ということになるのです。しもべを野ざらしにしボロ切れを纏わせ痩せ細らせていたのなら、その哀れな状況見た周囲の人は彼らの主人を揶揄するのです。また、この逆も然りです。これでは主人の沽券にも関わってくるので主人はしもべを大切に扱うのです。
💚弟子は衣食住を自力で得なければなりません。そればかりか師に対して「授業料としての対価を支払う義務」があるのです。ところが、しもべは主人の仕事振りを覗き見て模倣してさへいれば、その技術等を無料で習得できるのです。
💚弟子は師から学び終えた後、自分で就活をしなければならず、見つけた仕事が自分にとって適正であるかは働いてみないと分からないのです。一方しもべは、主人自らが「しもべに適した的確な仕事」を与えてくれるのです。
💚更に弟子には「自分のビジョン」が必要です。人生設計を自力で考え計画し積極的に実行に移さなくてはなりません。しかし、しもべにはビジョンも計画も必要がありません。主人が既に「しもべの人生としもべの役割」を予め用意してくれるからです。しもべは、主人が下命するまで待機しているだけなのです。