エペソ人への手紙 4章

エペソへの手紙 4章
=本章の内容=
❶一致を覚えなさい❷新しい人を身に着る
=ポイント聖句=からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。(4:4~5)
ただし、ほんとうにあなたがたがキリストに聞き、キリストにあって教えられているのならばです。まさしく真理はイエスにあるのですから。(4:21)
●パウロは4~6章で教会の中での信徒の歩み方を紹介しています。妻らしさ・夫らしさ・社会人らしさを身に付ける前に人間らしくなることを習得する必要があります。同様に教会での歩みは、各種の働き人になる以前に「基督者らしく」あることが肝要です。その第一が「一致」です。しかし、基督者にとって、このポイントが一番苦手な課題の筈です。「どうしても周りの人間より抜きん出たい」という肉の性質があるからです。
●イエス様ご自身も「人の子となり、十字架で犯罪者同様に命を落とすこと」により低く低くなられました。同様に基督者も十字架にわが身を置いて低くなる必要があるのです。「自分の人生は自分だけの物」と思っている限り、そこに居るのは十字架の前にいる傍観者に過ぎません。イエス様が望まれる「基督者らしさ」とは「人に仕える僕」の姿です。余分な枝を切り落とさなければ御霊の実はならないのです。「自分の持ち物を全て十字架に捨ててくる」ここを通過しない限り「僕」の姿をとれるはずはありません。この「僕の姿」があなたに反映されない限り教会の一致などありえません。
●「人を欺く情欲によって滅びて行く古い人」とは感情で満たされなければ行動できない人のことです。古い人は感情が満たされることを御霊の満たしと勘違いするのです。パウロは「真理に基づく義と聖をもって」と勧めています。ではどこからそれを習得できるのでしょうか?それは聖書と祈りによる日々の黙想からです。「真理も義も聖」も聖書の中にその詳細が書かれているからです。この勧めが実行できず「サンデイクリスチャン」でいる限り「霊的大人」ではないのです。
●「完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達する」事の出来る人は、限られた特別の基督者だけでしょうか。いいえ、父なる神様は分け隔てなく「霊的大人」になれる保証としてすでに御霊として内住しておられるのです。