使徒の働き28章-2

使徒の働き28章-2(28:13~31)
=本章の内容=
❷ローマ伝道
=ポイント聖句=私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。その日には、正しいさばき主である主が、それを私に授けてくださいます。私だけでなく、主の現れを慕い求めている人には、だれにでも授けてくださるのです。(テモテ第二4:7~8)
=黙想の記録=《13~31節》ローマ伝道
(1)プテリオにはすでに主にある兄弟姉妹が起こされていました。「神に感謝し、勇気づけられた(28:15)」とあるように、久しぶりの親しい交流にパウロ達一行はどれだけ安堵したことでしょう。親衛隊に護衛されていたはずですが、一切そのことは書かれていません。親衛隊はマルタの島民同様すっかりパウロに心酔していたかもしれません。囚人として取り扱う必要を感じていなかったことが想像できます。信仰告白した兵士もあるいはいたことでしょう。
(2)ローマからも主にある兄弟姉妹が迎えに来ました。どんなに心強かったことでしょう。ところでローマ人へは誰がどのタイミングで伝道していたのでしょうか。ペンテコステにもローマ在住のユダヤ人キリスト者が起こされた可能性もあり、またパウロ一行の伝道の結果によることも考えられます。
(3)パウロは追いかけて来るであろう反対者対策の為、ローマ在住の主要なユダヤ人を呼び寄せ、パウロ一行がローマまで来た一連の出来事またカエサルの上訴した顛末を説明しました。しかし、パウロは護送されてきたわけですから全く旅費はかかりません。しかし、訴えを出したエルサレムやアジア州のユダヤ人にしてみれば、莫大な経費がかかるはずです。路銀を準備してローマまで来るには相当のタイムラグがあるのは当然です。そのため、ローマ在住の主要なユダヤ人にはパウロに関する情報は一切届いていません。「ナザレ派」というユダヤ教の新しい一派が勢い付いてきた程度にしか過ぎず、それを既存の宗派が反対している」との認識しかなかったのです。「私たちは、あなたが考えておられることを、あなたから聞くのがよいと思っています。(28:22)」とあるように、彼らは友好的にパウロ一行と接触しようとしました。後にパウロは何の制約を受けることなく、「神の国のことを証しし、モーセの律法と預言者たちの書からイエスについて彼らを説得しようと、朝から晩まで説明。(28:23)」続けることができました。
(4)当初、パウロ一行は軟禁状態で、外部の人間といつでも接触できたようです。ここでの2年間とはAD59~61年のことです。AD61年にはいったん無罪放免ですがロ中らの退去を命じられます。そこでパウロはその後AD62~64年には、マケドニヤ、クレタ、小アジア州、エスパニヤで精力的に宣教活動を展開しています。この間の出来事はテモテ第一の手紙に詳細が記されています。ところがAD6年に起こったローマの⼤⽕以降、キリスト者に対する迫害が酷くなり、AD64年再び逮捕されローマに護送されます。この間の様子はテモテ第二の手紙に記されています。AD67年ローマで斬首刑を受け殉教します。享年59歳でした。