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使徒の働き28章-1

使徒の働き28章-1(28:1~13)
=本章の内容=

❶ローマへの旅(2) マルタ島からローマへ

=ポイント聖句=

人々は、彼が今にも腫れ上がってくるか、あるいは急に倒れて死ぬだろうと待っていた。しかし、いくら待っても彼に何も変わった様子が見えないので、考えを変えて、「この人は神様だ」と言い出した。(28:6)

=黙想の記録=

《1~13節》マルタ島からローマへ
(1)マルタ島は面積は316km2で東京23区の半分です。マルタ島からシチリヤ島のシラクサまで約210km。そこから狭い海峡を抜けてプテオリ港(現ナポリ近郊)に到着。そこからは陸路約230kmでローマにようやく到着できます。マルタの歴史は紀元前5000年頃、イタリアのシチリア島から農民が渡来したことから始まります。 その500年後、紀元前4500年ごろには世界遺産に登録もされている巨石神殿群が建てられます。その後、紀元前1000年ごろからは地中海沿岸の国々からの攻撃と支配の歴史となります。豊穣の女神を祀った巨大建造物のジュガンティーヤ神殿があり、そこではヤギ、羊、豚が生贄に捧げられていました。
(2)遭難した人々の命からからがらの上陸です。兵士たちでさへ武器や武具をほぼ身に着けていない状態ですから、島民にとっては彼らは無害に思えたことでしょう。「非常に親切にしてくれた」「迎えてくれた」の言葉から島民はこの遭難しても生き残った強運な人々にとても関心があったようです。「パウロが枯れ枝を一抱え集めて火にくべる(28:3)」とあるように、一行は島民とすっかり打ち解けていたようですが、ここで事件が起きます。
(3)現在マルタ島にはまむしは生息していないそうです。パウロが枯れ枝を火にくべると、マムシが彼の手を噛んだわけですが、ギリシャ語では「καθῆψεν (カサプト)」で「縛る、つかむ、固定する」で噛むという意味はありません。晩秋近くです。蛇は冬眠しているはずですが、熱気で飛び出してきたのでしょう。島民は事故病気などの不幸は、当事者が罪を犯した結果と考えていました。「因果応報」の考え方は世界共通なのです。これはサタンが埋め込んだ思想なのです。だからパウロは必ず死ぬと思われていたのです。「,しかし、パウロはその生き物を火の中に振り落として、何の害も受けなかった。(28:5)」ことから一転してパウロを現人神に祭り上げようとしました。
(4)出帆するまでの3か月、パウロは次々に聖霊の導きによって様々な出会いと親切を経験し、パウロはそれに応えようとします。、島の長官でプブリウスの父親の病気を癒したことをきっかけに島民は次々にパウロのもとに病人等を連れてきました。「人々は私たちに深い尊敬を表し(28:10)」とある様に、島民だれもが知っている高飛車え金品ばかり要求する神官のようではなく、島民を真心を持って接する姿からあがめるのではなく、人間としての敬意を払うようになっているのです。「崇められる存在」を目指すのではなく「仕える者」の姿を心掛けることが、人の心を動かす原理をここで学ぶことができるのです。

 

 

使徒の働き

Posted by kerneltender