使徒の働き27章
使徒の働き27章(27:1~44)
=本章の内容=
❶ローマへの旅(1) カイザリヤからマルタ島ヘ
=ポイント聖句==黙想の記録=
《1~11節》カイザリヤからクレテ島まで
(1)これらのことがあった後、パウロは御霊に示され、マケドニアとアカイアを通ってエルサレムに行くことにした。そして、「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない」と言った。19:21にあるようにパウロにはローマ宣教が委ねられています。それは、必ず遂行されなければミッションです。ルカはカイザリアからローマへの旅程を詳細に書いています。航海の様子が細かく書かれているのは、各地の信徒達への「ローマ行きの旅先案内書」としたかったのかもしれません。しかし、聖霊なる神様の導きをなんとか阻止しようとするサタンの企てが待っていたのです。
(2)親衛隊とは皇帝直属の部隊です。ユリウスは他の数人の囚人護送の為にユダヤ属州に赴き、帰還するところに「パウロの護送」を託されました。しかし護送専用の軍艦ではなく民間の船を利用しました。他の囚人は民間人も同船しているので隔離されていたとも思われます。しかし、パウロは別扱いです。さらに、アリスタルコ(19:29)も同船同行を許可しているほどです。このアリスタルコはローマでパウロと運命を共にする人物です。アドラミティオは小アジア北西部の大港湾都市で、ここからマケドニアの各港湾都市に立ち寄って、ローマに向かくことができます。すでに教会が立てられているシドンに立ち寄った際には友人宅に寄ることも許可されています。ですが、パウロの仲間がパウロを奪還する可能性さへあるのです。しかし、この百人隊長は何らかの方法で「パウロが布教の為にローマ行きを熱望している」ことを知ったのでしょう。晩秋から初春までの間は荒れた天候が続くため、それを避けて船旅が計画されます。ところが、この時はもう晩秋に近くなっていたために、向かい風が吹き航海を困難なものにしていました。その為、キプロス島の北側を通過し、ミラに到着。そこで、アレクサンドリアから来た大型輸送船に乗り換えました。さらに季節風がひどくなったために航路を南方に変えて、クレタ島南側の「良い港」に気候します。「断食の日」とは10月頃に祝われる「贖いの日」の事です。今までの航海を見ると、その年は異常気象だったのでしょうか、いつにもなく風はこの航海を困難なものにしているのです。こんな中を出帆すれば甚大な災難が襲ってくることは航海になれていたパウロには分かっていたのでしょう。ところが、船長や船主は旅を強行してでも貿易を優先させたかったのです。パウロの警告にも拘わらず百人隊長は、彼らの選択に航海を任せてしまいます。測量計などの計器がない時代です。専門家の感に頼るしかなったのです。しかしこの感が大外れでした。
《12~26節》難破とパウロのメッセージ
(1)ユークロンは季節風ですが、この季節風をまともに食らうと大型帆船でも簡単に転覆してしまいます。巻き込まれたら最後、漂流するしか術がないのです。荷が重ければ船体が沈み座礁してしまう危険があるので、積み荷も船具を海に捨てるしかないのです。太陽も星も見えない日が何日も続いたことで全く方向感覚がなくなります。
(2)同船した人々は、今さらながらパウロの主張が正しかったことを知るのですが、既に時遅しなのです。風前の灯火となった人々に向かって、パウロが希望のメッセージを語るのです。パウロは創造主から召命を受けているので、パウロと一緒にいる限り、必ずローマに辿り着けると語りましたが、それを信じた人は皆無でした。
《26~節》上陸
(1)浅瀬が近づき座礁の危険性が濃厚になった時、水夫たちは小舟を出して逃亡しようとするのです。「あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたは助かりません(27:31)」と言ったのは、「同船している人たちをみなあなたに与えている(27:24)」の御言葉に従ったまでのことです。百人隊長はパウロについてその経歴を聞いていたはずです。あるいは彼が行ってきた奇跡の数々も耳にしていたのでしょう。彼はパウロの指示に従います。救出の日は近いことを悟っていたパウロは、一同に食事を勧めます。さらに船を軽くするためです。徐々に人々はパウロがただならぬ人物であることを悟っていくのです。「それで皆も元気づけられ、食事をした。(27:36)」には明るい希望が感じられます。陸地が見えて来ましたが漂流中の船に舵は仕えません。案の定座礁してしまいます。兵は逃亡を防ぐために囚人の殺害を図りましたが、百人隊長はそれを許可しません。そして276人の乗船者は全員無事に陸に上がることができたのです。
(2)今さらながらですが、パウロのローマ行きはなぜこんなにも遠回りをさせられたのでしょうか。それは、百人隊長を含む親衛隊と乗船した人々全てに「自然も人の命も操ることのできる創造主の存在」を聖霊なる神様がお示しになりたかったからなのです。さらに各地の教会の信徒に向けた書簡の中で「神に服従する」とはどんなことであるかを教えるための「生ける教材」となったのです。