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使徒の働き23章-1

使徒の働き23章-1(23:1~11)
=本章の内容=

❶最高法院での弁明とその波紋❷パウロ殺害の陰謀❸総督フェリクスへの書簡

=ポイント聖句=

パウロがこう言うと、パリサイ人とサドカイ人の間に論争が起こり、最高法院は二つに割れた。サドカイ人は復活も御使いも霊もないと言い、パリサイ人はいずれも認めているからである。(23:7~8)

=黙想の記録=

《1~11節》最高法院での弁明とその波紋
ネデバエウスの子、大祭司アナニヤ(在位:紀元46年 – 52年)。ヨセフスのユダヤ古代誌によれば、本章でのパウロとの出会いの後、ユダヤ人とサマリア人の抗争事件で責任を取らされ退位、退位後も気前だけはよかったので市民からは人気はあったが、そのため手下を使い力ずくで祭司への献品を横取りします。不当に得た財産とローマにべったりの姿勢が反感を買い、最後はユダヤ戦争時に蜂起した熱心党達に殺害される(Wikipedia)
(2)パウロが大祭司アナニアを知らないわけがありません。悪名高い大祭司アナニアは、実に狡猾で横柄な人物でした。ローマの後ろ盾があっての大祭司でしたので、パウロがローマ市民であろうがお構いなしだったのです。イエス様の時と異なるのは千人隊長がパウロを保護していたことです。うかつにリンチしようものなら、ローマに目をつけられてしまう時代に変わっていたのですが、自信に満ちたパウロの弁明にのっけから気分を害します。あたかもパウロが最高法院の主役の様に思えたからです。
(3)パウロはパリサイ派の高名なラビ「ガブリエル」の門下生です。最高法院にはサドカイ派の祭司等と以外にもパリサイ人等も参加していたのを逆手に取り、パウロは分断作戦を図ります。もともとは「神殿侮辱罪」だったのですが「訴えの争点は死者の復活にある」とパウロは論点をすり替えます。サドカイ派は死者の復活どころか霊の存在さへ認めていません。本来祭司長たちこそ、霊の存在を信じていなければならない職種のはずです。様々な儀式は「主なる神」という目に見えない存在への行為であったはずなのです。つまり仕事としての「祭司職」に過ぎなかったわけです。一方、パリサイ派は、より民衆寄りで、アブラハム・イサク・ヤコブの神を日ごろから唱えている様に「死者の復活」を真剣に信じていた者たちです。しかし、祭司のようにユダヤ教の中枢にいてユダヤ教全体の指導者にはなれない恨みをサドカイ派に持っていたわけです。弁舌の巧妙さにおいてはパウロは負けてはいません。ここにも聖霊のパウロへの働きかけとして「何を語るべきか」をお示しになっていたのです。「蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい(マタイ10:16)」はキリスト者の処世術の一つです。パウロがパリサイ派であることを主張した結果最高法院は二つに割れるのです。千人隊長は、紛糾が激烈になり議会が思わぬ方向に進むため、パウロ保護の為、またまたこの場所から兵営と移すのです。
(4)ローマ行きの宣教命令を抱きながら成り行きがさらに悪化していくことにパウロは失望していたかもしれません。その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことを証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」と言われた。(23:11)とあるように、主の慰めと励ましはとてもタイムリーだったのです。この様に熾烈な霊の戦いの後には必ず神様の取り扱いがあることを予め知っておく必要があるでしょう。しかし戦わなければこのような取り扱いは経験できません。

 

 

使徒の働き

Posted by kerneltender