使徒の働き22章
使徒の働き22章(22:1~30)
=本章の内容=
❶パウロの弁明❷群衆の反応と千人隊長の反応
=ポイント聖句=「兄弟ならびに父である皆さん。今から申し上げる私の弁明を聞いてください。」(22:1)
そこで、パウロを取り調べようとしていた者たちは、すぐにパウロから身を引いた。千人隊長も、パウロがローマ市民であり、その彼を縛っていたことを知って恐れた。(22:29)
《1~21節》パウロの弁明
(1)ローマへの道のりの発端となったのは21章の神殿騒動です。その後、様々な人物たちの前で、パウロは自身の証しをしていきます。ローマへ船出するまでに実に5回も弁明するチャンスが与えられるのです。(①22:1~21②23:1~6③24:10~21④25:8~11⑤26:2~27)回が重ねられるごとに対象は高位高官になっていきます。
(2) パウロの弁明
①この騒動を起こした人々もその場に居合わせていたのにも関わらず、パウロは「父よ」という呼びかけで弁明を開始します。「父よ」は最高の尊敬の意を表したものです。「ヘブル語で語りかける」は敬意を払った流暢なヘブル語であったことを表現したものです。「ユダヤ人にはユダヤ人の様に」とは「敬意と謙遜の心」が込もったパウロの態度です。これが「同胞を愛する」ことなのです。
②ここでのパウロの弁明内容は、キリスト者になるまでの経緯であり、福音の核心部分に至っていません。ここでの内容はアジアから来たユダヤ人の虚偽の訴状に対するものでしたが、恐らく通訳を通じ、千人隊長にもこの訴えが理不尽極まりないことが伝わったことでしょう。
・自分は離散したユダヤ人ではあるが生粋のユダヤ人の家系である
・当時最高峰のラビ、ガブリエルの門下生であり、厳格に律法を守ってきたこと
・当初、キリスト者を捕縛し処罰することに熱心に加担していた。
・キリスト者を投獄したり、殺害の片棒を担いでいた
・わが身に起こった突然の出来事は以下の通りだった。
① まばゆい光②イエスの声③一時的に盲目になる④律法を遵守するキリスト者アナニヤとの出会い
・メシヤからの召命の内容は次の通りであった
① 「イエスがメシヤであること」の証人となること②イエスにあるバプテスマを受けること③エルサレムから急いで退避すること④異邦人宣教に遣わすこと
《22~30節》群衆の反応と千人隊長の反応
(1)「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしておくべきではない。(22:22)」は、ピラトの法廷でのユダヤ人の叫んだ声と全く同じです。「除く」はギリシャ語で「Αἶρε(アイロ) 」で「削除する、上に上げる、生者の中から取る」で、ピラトの法廷でユダヤ人が叫んだ言葉「殺せ(ルカ23:18)」と同一の単語が使われています。群衆はその時の光景を思い出さずにはいられなかったはずです。ルカは、場面は違えども、双方の事件の背後に悪魔の筋書きがあったことを示したかったのでしょう。
(2)パウロの弁明は火に油を注いだのと同様でした。その場を取り繕って事態を収拾するために千人隊長は公衆の面前でパウロに犯罪人に対する刑罰の様に「むち打ち」をしようとしました。裸にされた瞬間にパウロは自分が「ローマ市民」であることを証言します。これはユダヤ人の群衆を一瞬たじろがせる言葉です。なぜならローマ市民への暴力はローマ帝国への反抗とも言えるからです。そして何よりローマ法を遵守するローマ兵にとっては、震え上がる一言でした。なぜなら正式なローマ市民権を持つ者はここユダヤでは希少であり、このローマ市民に対し間違えた裁定をくだした場合、その責任は大きな代償として戻ってきてしまうからです。ならば、この危機的状態にパウロを置いておくことは、自分の首を飛ばしてしまうことになります。そこでユダヤ人の手前、ひとまず鎖をかけて兵営に連行していく姿を見せておくのです。
(3)「ローマ市民である」との「肩書」を表明したのはパウロの機転とも言えますが、これも聖霊が用意してくださった「言葉」とも言えるのです。神様はキリスト者の賜物と同時に言いにつけ悪しきにつけ「その人の人生の経験」をもお使いになる方なのです。パウロには恥ずべき「糞土」の様に思える肩書であってもです。