使徒の働き17章-2

使徒の働き17章-2(17:15~34)
=本章の内容=
❸アテネ伝道・パウロの説教
=ポイント聖句=パウロは、アレオパゴスの中央に立って言った。「アテネの人たち。あなたがたは、あらゆる点で宗教心にあつい方々だと、私は見ております。(17:22)
=黙想の記録=《15~34節》
(1)アテネはべレアから直線距離で南南東約250kmに位置しています。世界でももっとも古い都市の一つで古代の都市国家でしたが、紀元前168年にローマの属州にされました。ギリシャ文明の中心地として芸術や学問、哲学の中心でもありました。パルテノン神殿は古代ギリシア時代にアテネのアクロポリスと名付けられた小高い丘の上に建設されたアテネの守護神であるギリシア神話の女神アテーナーを祀る神殿です、神殿には72枚の浮かし彫りのプレートが貼られていますが、ここにはギリシャ神話のありとあらゆる神々が刻み込まれています。「アレオパゴス」とは、アテネのアクロポリス西北面の中腹にある小高い丘であるアレス神の丘のことで、ここに貴族たちの会議所(評議所)が置かれていました。以前はローマ帝国の元老院の様な役割を担っていましたが、この当時は単なる学問所として使われていたようです。
(2)「エピクロス派とストア派の哲学者たち(18:18)」とありますが、この二つの主義のほかに「キュレネ派」がありましたが、キュレネ派刹那的、享楽的生活をできうる限り追及して生きることが幸福であると説いていたものです。これに異を唱えたのが次のエピクロス派とストア派です。共通して言えることは、「神や死後」を論ずることは低次元であると主張していることです。生活の全てを奴隷に委ねているため、上流社会の者たちの関心は精神世界や最新の目立つ社会事象にありました。こうした意味で言うなら、何不自由のない生活を送るキリスト者ほど、移ろう世の中にばかり関心を注いでしまうのは2000年前のギリシャ人と同様と言えるでしょう。以下の二つの哲学者にとって「神々」「死後の世界」は低次元の人間の考えることだったわけです。そこでパウロの主張に対し「彼は他国の神々の宣伝者のようだ。(17:18)」という言葉の背景には侮蔑の意味が込められているのです。
①エピクロス派・・・刹那的、享楽的欲求に惑わされるのではない生活、つまり、身体的苦痛を伴わない精神的な快楽の追求のため、政治や社会などの軋轢を避け「隠遁者」の様に質素な生活を送ることが幸福であると説いていました。「霊魂というのは物質であって、それゆえ死によって分解する。死後の世界というものはない。そもそも不死の神々を認める宗教というのは国家による統治のために考え出された装置に過ぎない。」という点で当初からキリスト教と対峙していました。
②ストア派・・・知者すなわち「道徳的・知的に完全」な人は、判断の誤りから生まれる破壊的な衝動などに苛まされることはないと説いていました。自制心や忍耐力を鍛えることで高い倫理観を養うこと旨としていることから現代の「ストイック」の語源ともなっています。ストア派は神を宇宙の法則て位置付けるだけで、創造主もまた死後の世界も認めていません。
(3)パウロは「あらゆる点で宗教心にあつい方々だ(17:22)」と信心深さを、また『知られていない神に』に祭壇を築く(17:23)ほど、神々に敬意を払っているとも、まず彼らを称賛することから口火を切ります。パウロの説教を以下の様にまとめてみました。ところが、イエス様の詳細を語ろうとした時にその言葉をさえぎられてしまいました。
①人間がその手で作り上げたような建造物や製品の中に神は存在しない。
②「神は不完全なので人間がその部分を補填しなければならない」という考えは間違えている。
③神がすべての生物のいのちを維持しておられる。。
④神は今「悔い改め」つまり人生の方向転換を迫っている。
⑤裁き主でもあるメシヤは存在している。
ディオヌシオやダマリスという人物はアテネ教会の有力なメンバーとなったに違いありません。