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使徒の働き16章-4

使徒の働き16章-4(16:25~40)
=本章の内容=

❺看守の救い

=ポイント聖句=

真夜中ごろ、パウロとシラスは祈りつつ、神を賛美する歌を歌っていた。ほかの囚人たちはそれに聞き入っていた。(16:25)

=黙想の記録=

《25~40節》看守の救い
(1)もっとも厳重な監獄に投獄されてしまった二人は、鞭うたれた痛みできっと眠れなかったのでしょう。痛みを訴え恨み言の一つでも言うのかと思いきや、彼らは「祈りつつ、神を賛美する歌を歌ってい」いたのです。監獄の中から歌が聞こえてくるのです。悲しみ嘆く恨み節ではなく、神を賛美する喜びの響きです。囚人たちに興味が湧かないわけがありません。あるいはこの監獄からも救われた囚人が起こされたかもと想像できるのです。
(2)大きな地震で監獄の扉が一斉の開いても、パウロシラスは、これ幸いにと逃げ出すことをしませんでした。囚人たちも右へ倣えです。状況に流されない、状況に支配されない二人の強い意志を感じます。目には絶好のチャンスと思えても、神様の命令が下されなければ留まっている」ことがベストな行動なのです。一方看守は短剣で自害しようとするのですが、その理由は囚人が脱獄しようものなら、その兵自身の責任が問われるだけではなく、その家族にまで罰が下るのを及ぶのを恐れたためで、責任を自ら取れば、家族への難は避けられると思ったからなのです。
(3)パウロの前に「ひれ伏した」のは、この一連の言動が、とても人間業とは思えなかったからです。「自分が今、対峙しているのは単なる人間ではない。神からの使者であるなら、その目的があるはず。」と、思い咄嗟に、この看守は「救い」を求めますが、これは単純な命乞いではありません。彼は隠密裏に二人を我が家に招き入れ、神の使者からのメッセージを受け取ります。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」のメッセージは、ユダヤ人向けの物ではありません。パウロはユダヤ人に語っていたように、ユダヤの歴史や律法をひも解くことをしていません。ローマ人の看守にとってはユダヤ教の神(エホバ)ではなく、メシヤなるイエス様だけを紹介すれば良かったのです。十字架にかかったキリスト、復活したキリストの話はすでにローマ兵は周知の事実だったわけです。その話の信ぴょう性を目の前にいる神の使者が提示するのです。疑う余地のいない事実として看守に迫ってきます。彼はその場で、その事実を受け入れるのです。「打ち傷を洗った」という印象的な言葉にルカは「看守の悔い改めの心」を表現しています。そして自らキリスト者になるという意思表明の為にバプテスマを受けるのです。しかも家族全員で。彼にはこの時点から、自分の人生に向かってくる災いを恐れる思いは消え去ります。神の導きに勝る人生が最善と悟ったからです。
(4)看守は「夜が明けると」、待っているのは自分に課せられる重い刑罰であると予想していました。が、神様の配慮は全てに行き届いていました。長官がパウロとシラスの釈放を命じるのです。監獄から逃げ出すのでは、看守の命はありませんでした。ここにもパウロ達が一切を神様に任せる堅固な信仰の結果が見て取れるのです。パウロとシラスの解放を一番喜んだのは外ならぬこの看守です。
(5)ここまでで、ルカは先の「占いの霊に取りつかれていた女奴隷」と「看守」の取り扱われ方の相違点をはっきりとは示します。女奴隷は「悪魔にも主人たちにも支配され、人間扱いされることなく孤独」であったことを表現し。看守の物語を通して、「生ける神様が自分の保護者となってくださった」ことを表現しています。
(6)ピリピ教会の礎となる重要な信徒はこうして誕生しました。教会はシステムのことではなく、教会は人から成り立つことを本章では教えてくれます。

 

 

使徒の働き

Posted by kerneltender