使徒の働き16章-3

使徒の働き16章-3(16:16~25)
=本章の内容=
❹占い師と捕縛
=ポイント聖句=さて、祈り場に行く途中のことであった。私たちは占いの霊につかれた若い女奴隷に出会った。この女は占いをして、主人たちに多くの利益を得させていた。(16:16)
=黙想の記録=🔴今回出てくる2つの物語は「悪魔の連鎖Vs神の連鎖」がテーマです。ルカはこうした物語を対比することで、それぞれの本質を際立たせています。また「占いVs預言」は、使徒の働きの核心部分である「聖霊降臨による影響」と「悪霊憑依の結果がもたらすもの」違いを明らかにする箇所です。
《16~24節》占い師と捕縛
(1)占いとは様々な方法で、人の心の内や運勢や未来など、直接観察することのできないものについて判断、予言することや、その方法をいう(Wikipedia)。 未来を予測できるなら、自分に襲ってくる災いを回避することができるでしょう。また自分のパートナーの本質が分かれば間違いない結婚生活が期待できるのです。
(2)あなたのうちに、自分の息子、娘に火の中を通らせる者、占いをする者、卜者、まじない師、呪術者、呪文を唱える者、霊媒をする者、口寄せ、死者に伺いを立てる者があってはならない。(申命記18:10~11)にあるように、占いはモーセの律法に明記されている禁止事項です。では、なぜこれらは禁止されているのでしょうか。災いを逃れることができるのなら良いことではないでしょうか。この箇所に「占いの霊」とあるように、占いの力は主なる神様からの物ではなく、それが悪魔由来であることに大きな問題点があるのです。「占いを信じる」ことは、「神様の導きを拒否するのと同様なのです」。パウロがこの女奴隷から「占いの霊」を追い出したのには、単に面倒から逃れたい為の偶発的な行為ではありません。占いと言う行為が「偶像礼拝と悪魔崇拝」から来ているものであることを告発し、それを信頼する者はかえって人間性を見失っていくとの警鐘を鳴らしたかったからなのです。使徒の働き16:16に「占いの霊」とあるように、占いの力は主なる神様からの物ではなく、それが悪魔由来であることに大きな問題点があるのです。占いと言う行為が「偶像礼拝と悪魔崇拝」から来ているものです。「占いを信じる」ことは、神様の導きを拒否するのと同様なのです。
災いは「神様からの試練」とキリスト者は承知しています。これから忌避するのではなく、聖霊と共に乗り越えようとするとき、御霊の実が結実していくことを忘れないでください。
(3)女奴隷は占いをすることによって主人たちに莫大な利益をもたらしてきました。しかし占いという特殊能力がなければ、この女奴隷はただの人。主人たちには不用品となのです。このように悪魔の所業は、人間が用をなさなくなれば容赦なく切り捨てることなのです。悪魔にとって私達人間は単なる物なのです。占は「人の弱さに付け込んで金品を巻き上げる」のが目的で「人の幸せ」には無関心である悪魔の所業です。ですから、彼女を奴隷として所有する複数の主人たちは、収益の激減は死活問題となる訳です。この為に彼女の主人はパウロ一行を排斥しにかかるのです。
(4)パウロを捕縛した主人たちの訴状には、正気に返った女奴隷の事は一言も触れていません。「この者たちはユダヤ人で、私たちの町をかき乱し」と、当時ローマ帝国内で湧き上がっていた「ユダヤ人排斥の動き」に便乗したものです。正式な裁判を受けることなく、結果、パウロとシラスはむち打ち刑に服さなければなりませんでした。でも疑問に思うのは最初から「ローマ市民」と主張すればこんな酷い仕打ちはなかったことでしょう。これは捻くれた考えかもしれませんが、異邦人への神の使者として、その本拠地に乗り込もうとした意思の表れではないでしょうか。しかし、今回はその時ではなかったのです。