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使徒の働き16章-2

使徒の働き16章-2(16:11~15)
=本章の内容=

❸リディアの救い

=ポイント聖句=

リディアという名の女の人が聞いていた。ティアティラ市の紫布の商人で、神を敬う人であった。主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに心を留めるようにされた。そして、彼女とその家族の者たちがバプテスマを受けたとき、彼女は「私が主を信じる者だとお思いでしたら、私の家に来てお泊まりください」と懇願し、無理やり私たちにそうさせた。(16:14~15)

=黙想の記録=

《11~15節》リディアの救い
(1)アジア州の北西部のトロアスから、さらに北北西50kmにあるサモトラケ島に到着。そこから西北西80kmにある港湾都市のネアポリスに到着します。ピりピはネアポリスの北西に隣接した場所にあります。
(2)ルカはピリピで3人の入信を記録しています。ルデヤ・女奴隷・看守ですが、三者三葉の身分と職種でした。最初の入信者は「リディア」という女性です。「ティアティラ市の紫布の商人で、神を敬う人であった。(16:11)」の情報から、次のことを読み取ることができます。
①「リュディア」ですが、彼女はアジア州西部のリュディア地方の一都市テアテラの人でした。ですから、この「リュディア」は「リュディア人」と言うあだ名にすぎません。
②「ティアティラ」はヨハネの黙示録に登場するアジアの7つの教会の第4番目(黙示録1:11)に登場します。この町には太陽神テュリムノスを祭る神殿があり、ユダヤ教と異教の混交宗教がはびこり、不道徳な習慣が蔓延していました。「神を敬う人(16:11)」とあるところから、リュディアはユダヤ教改宗者でシナゴーグに通っていたものと思われます。
③「ピリピ」は古代マケドニア王ピリッポス2世によって、付近の金鉱の開発を促進し、また軍事防衛の拠点とする為に建てられた都市です。ローマ風の道路整備やまた円形劇場などの施設が作られています。小規模な割には、繁栄した都市と言えます。その為、このリュディアの様に遥か遠方から行商に来る者が数多くいました。
③「紫布の商人」の「紫布」ですが、この紫はある巻貝から採れる成分で作られたもので、一個の貝から採れる量は僅かです。そこで一枚の衣服を染めるには、多量の貝を必要で、専門漁師に採取させることで労費がかなりかさみました。ですから、この染料で染めた紫布は大変高価なものとなります(1着あたり2500デナリ)。「商人」とありますから、その紫布を仕入れ販売するのが彼女の稼業と言えます。当時、ギリシャ・ローマ世界の上流社会の人々を相手に、いわば大成功を収めた実業家といえるでしょう。
④「彼女とその家族の者たち(16:15)」とあることから、夫がいないことが想定され、寡婦で子供がいたか、独身者で兄弟姉妹や親族を養っていたとも考えられます。しかし単に行商に来ているだけなら家族まで同行させなくてもよいのではないでしょうか。明らかにされていませんが、以降ピリピ教会の有力な信徒となる訳ですから、当初からピリピが移住先と見込んで来ていたのではないでしょうか。
(3)この物語では、「聖霊によって整えられた環境」を見ることができます。パウロがアジアで宣教することを止められ、ここピリピに来訪したことと、リディアがピリピに行商に訪れていたのは偶然ではありません。さらにリディアがテアテラから移住してきたとするなら、商売は繁盛しても、何らかの問題を抱えていた女性だったと思われるのです。その中で彼女は「真の救い」を求める求道者として整えられていたとは言えないでしょうか。現代で言うところの「改宗者の為の婦人集会」が川岸で持たれていました。パウロがラビであることは今時点では周知の事実です。しかし、今までのラビとは明らかに様子が異なります。ラビが女性だけの集まりに参加はしないはずです。また律法の解説解釈ではなく、「メシヤとは誰か」について語っているのです。
(4)『彼女は「私が主を信じる者だとお思いでしたら、私の家に来てお泊まりください」と懇願し、無理やり私たちにそうさせた。(16:15)』集会後、彼女はパウロを強いて自宅に招待します。彼女の信仰のスタートがここに表現されています。彼女は家族にもパウロを引き合わせて、全員がバプテスマを受けます。こうしたことからも彼女は、家族から全幅の信頼を受けていることが推測できます。また、彼女がパウロの紹介するイエスキリストに全幅の信頼を持ち始めて様子が分かるのです。ピリピには宿屋は多くありましたが、いずれも大変粗末なものでした。パウロ一行を我が家に宿泊させるということは、彼女の商売にとっては損失になりうるのです。本章後半に出てくる迫害の状況を見れば容易に理解できるはずです。しかし彼女はそのリスクを顧みず、「懇願」してまでも「主にある兄弟姉妹の交流」を心の底から欲していたことが分かります。これがピリピ教会の始まりでした。教会はシステムではなく、「キリスト者の家」であることをルカは表現したかったのです。

 

 

使徒の働き

Posted by kerneltender