使徒の働き13章-1

使徒の働き13章-1
=本章の内容=

❶第一回宣教旅行の開始とマルコの離脱

=ポイント聖句=

総督はこの出来事を見て、主の教えに驚嘆し、信仰に入った。(13:12)
パウロの一行は、パポスから船出してパンフィリアのペルゲに渡ったが、は一行から離れて、エルサレムに帰ってしまった。(13:13)

=黙想の記録=

13・14章はパウロの第一回宣教旅行について書かれています。
《1~13節》第一回宣教旅行の開始とマルコの離脱
(1)12:24・25には第一回宣教旅行以前の状況報告をエルサレム教会で行う場面があり、同教会はパウロに託された世界宣教への導きを確信するのでした。事ある毎にパウロはこのアンティオキアに立ち寄るとこから、彼の有力な支援教会と推定できます。この教会には名前が列挙された5人のリーダー(パウロ・バルナバ・シメオン・ルキオ・マナエン)がおり、彼らによって牧会されていました。出身地・人種など多くの社会的相違点がありましたが、この兄弟達の霊の一致がこの教会の成長を強力に促進してきたと言えます。注目すべきは「マナエン」で、彼はヘロデ・アンティパスとゆかりのある人物でした。使徒の働きの著者ルカはここで、領民を力で捻じ伏せる「暴君ヘロデ・アンティパス」と、世界宣教の足掛かりとなるアンティオキア「教会の長老マナエン」を比較対象させたのです。同じ生い立ちでも心に抱くもの(野心か無心)によって人生の方向性が異なることをさりげなく教えています。
(2)断食をしながら祈り会を持つ理由は余程重要なテーマを取り扱っていたと想像できます。ここで聖霊はバルナバとサウロを「世界宣教に就かせること」を命じます。バルナバとサウロの両名はともに外国語にもユダヤ教にも精通している人物です。また既に各地で宣教活動をしている実績があります。しかし、だからと言って、彼らを空手で送り出すわけではなく、最低限の生活支援をするのは送り出す側の兄弟愛が試されることです。ここでの按手の儀式は「宣教旅行の全てが神様によって満たされることを願う」のと同時に「偽りのない寸断することのない支援を決意する」意味が込められているのです。
(3)宣教開始直後にキプロスで魔術師との遭遇はその後のパウロ一行に待ち受ける数々の困難の予兆でした。「地方総督セルギウス・パウルスの入信」は、既得権を失うことになることや、そればかりか、やがて自分たち魔術師の掃討につながると、この魔術師は直感するのです。あらゆる方法(パウロ一行の悪評・総督への政治的駆け引きなど)で総統の心を揺さぶります。魔術師の魔術は単なる目の錯覚で引き起こすトリックですが、聖霊によって発した魔術師への預言は即座に盲目になることで実現してしまいます。盲目になる過程は「主の栄光」を見たことによるものではなく、御使いを介しての超自然的な制裁行為でした(創世記19:11)。総督は欲の塊であったこの魔術師に下された「神の裁き」は、無心無欲なこの宣教者の背後におられる方から来たと認めざるを得ませんでした。,総督はこの出来事を見て、主の教えに驚嘆し、信仰に入ったのです。
(4) マルコと呼ばれるヨハネが戦線離脱したことに対してルカは何も触れていません。マルコの親せきがバルナバで、バルナバはパウロをエルサレム教会に引き合わせた立役者です。犯罪者パウロの身元引受人のバルナバが同行するから、エルサレム教会もまたアンティオキア教会も安心して、両人に異邦人伝道を任せた様なものです。ところが、キプロスで総督の入信にも表れていたように、いつの間にかパウロが宣教活動の中心人物となっているのです。親戚のバルナバに勧めに応じて活動に加わったマルコにとって、これは不愉快になる要因でした。さらに、あまりにも過酷な旅のリスクに身が竦(すく)んでしまったとも言えるのです。ここではマルコの失態を通し、「主の奉仕に際し、先輩キリスト者から勧めが、聖霊の導きに優先するようなことがあれば、任務遂行の途中で息切れしてしまうこともある」ことを実証していると言えます。

 

 

使徒の働き

Posted by kerneltender