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使徒の働き10-1章

使徒の働き10章-1(10: 1~22)
=本章の内容=

➊ペテロの異邦人伝道(1)コルネリオとの出会い

=ポイント聖句=

彼は敬虔な人で、家族全員とともに神を恐れ、民に多くの施しをし、いつも神に祈りをささげていた。(10:2)

=黙想の記録=

=本章の内容=

《1~22節》コルネリオとの出会い
(1)カイザリアはエルサレム北北西100kmに位置する大都市です。ヘロデ大王が紀元前25年ごろからパレスティナのヤッフォのすぐ北に建設しました。大規模な居住地域と人工港湾まで大規模な建築工事が行われました。紀元前13年には市民が入植し、パレスティナではもともと良港が少なかったため、カイサリアは重宝され、ユダヤ人やギリシャ人など多民族の混住地となりました。ローマ帝国もカイサリアの海上交通の利便さに目をつけてここをユダヤ属州の首都とし、ローマ総督と軍隊の駐屯地としていたのです。江戸時代でたとえるなら、御所のエルサレム、幕府のカイサリヤと言ったところでしょうか。
(2)コルネリウスは「イタリア隊という部隊の百人隊長」という肩書を持っています。「百人隊長」は兵の指揮統制をはじめ非戦闘時における隊の管理など、軍の中核を担う極めて重要な役割を果たし「ローマ軍団の背骨」と称えらましたが、全て一兵卒からのたたき上げでした。「イタリア隊」ということは部隊全員がイタリア人であったことを意味し、ローマ文化の洗練された博識を持ち、なおかつ人望のあった人物とも言えます。注目する箇所は「彼は敬虔な人で、家族全員とともに神を恐れ、民に多くの施しをし、いつも神に祈りをささげていた。(10:2)」というところです。ローマ神話に登場する曖昧模糊とした神々ではなく、ユダヤ教の唯一神こそが畏敬に値すると確信していたようです。「敬虔」はギリシャ語では「eusebes(イセベイス)」で「信心深い、忠実な」の意味もあることから、彼は、当時の宗教指導者以上のユダヤ教信奉者であったことが容易に想像できます。
(3)3~8節はコルネリオの霊的体験ですが、「主よ、何でしょうか。」の返答は幼き日のサムエルを彷彿させます(1サムエル3:10)。「邪念を持った打算的な心」では神様の言葉を正確に聞き取れないこと、逆に言えば「無私無欲な心の状態でなければ、神の言葉を正確・的確に聞き取ることができない」ことを教えている個所です。ペテロに遣わされた一人の兵士と二人のしもべはコルネリオの幻を聞かされただけで彼の命令を実行するのです(10:7・8)。ここにも、コルネリオが信頼に値する人という人望の厚さが滲み出ています。
(4)片やペテロの方も霊的体験で心備えをさせられています。コルネリオの場合は「御使い」でしたが、ペテロの場合ははっきりと「御霊」の取り扱いを受けているのです(10:10~20)。ルカはこの違いを明確化しています。ところで、ペテロの場合は御霊の声を聴く前に異様な光景を三度も見なければならないのです。一度見るだけでも嫌悪感を抱くのに三度も見なければならなかったのです。でも彼は最後に「神がきよめた物を、あなたがきよくないと言ってはならない。(10:15)」との御霊の声があったのにそれが何を意味しているのか理解できなかったのです。「鈍感」とはこの時のペテロのことです。「ユダヤ一地方だけでなく異邦人の世界に向けて遣わされる」ことを理解していないかったのです。「キリスト者だから鋭敏、未信者だから鈍感」とは限らないのです。

 

 

使徒の働き

Posted by kerneltender