最新情報

使徒の働き9-2章

使徒の働き9章-2
=本章の内容=

❷パウロの活動開始❸ペテロの巡回伝道

=ポイント聖句=

それを知った兄弟たちは、彼をカイサリアに連れて下り、タルソへ送り出した。(9:30)
リダとシャロンに住む人々はみなアイネアを見て、主に立ち返った。(9:35)
このことがヤッファ中に知れ渡り、多くの人々が主を信じた。(9:42)

=黙想の記録=

《27~31節》パウロの活動開始
(1)アナ二ヤの取り計らいで、エルサレム教会に引き合わされたです。サウロの被害者もいたわけですから、おいそれとは受け入れられません。この時点で、サウロにはキリスト者としての実績はありません。全てバルナバの配慮と根気強い説得のおかげで、まずは十二使徒全員が彼を迎え入れることになります。この直後、サウロはエルサレムで活動を開始します。ユダヤ教の英才教育を受けてきたサウロは、あらゆる知識を駆使して「イエスがキリストであることを証明」し始めたのです。彼と同じガブリエルの門下生やパリサイ派の人々は彼の偏向ぶりを柔軟に受け止めていましたが、祭司などを中心とするサドカイ派や以前ステパノの一件で手を組んでいたギリシア語を使うユダヤ人たち(ヘレニスト)は穏やかではありません。ステパノ同様「邪魔者は消す」に限るのです。サウロが命懸けで、イエス・キリストの為に奉仕する姿に、エルサレム教会は心打たれます。彼の命を守ろうと決死の救出行為を実行します。双方の信頼関係が固く結ばれた瞬間でした。その直後サウロの目覚ましい活動でユダヤ北方に向け旅立ちます。この信頼関係の構築こそが、その後のサウロの活動に大きな弾みをもたらしたのは言うまでもありません。
《32~43節》ペテロの巡回伝道
(1)この段階では異邦人に対する活動は行っていません。ペテロの巡回伝道の舞台は、以下の通りです。リダはエルサレム西北西40kmの内陸部に位置しています。シャロンはリダの西で地中海の面した地域の事。ヤッファはリダの北西15kmにある港湾都市です。ところで、ペテロはエルサレム教会では中心的な指導者のはずです。なぜ、エルサレム教会の指導者として収まることをせず、旅に出ようとするのでしょうか。七人の奉仕者を決定するときに語った「私たちは祈りと、み言葉の奉仕に専念します(6:4)」とあるように、十二使徒はエルサレム教会の牧会を七人の奉仕者に委ね、自らはユダヤ各地を巡回しながら、各地の聖徒達の信仰の確立と励ましを行うことに専念したかったのがその理由です。イエス様の復活以前は、「御国での自分の地位つまり新しい世界での統治者」になることを、浅はかにも四六時中ペテロは期待していました。しかし、聖霊が臨まれた時、こうした思いを寸分でも持つことはなかったのです。聖霊に満たされる指導者は教会に君臨することを望みません。かえって、聖徒達のしもべとして、必要を満たそうと努力することを心掛けているのです。
(2)ペテロの巡回活動は、各地の教会建設の為でもありました。教会建設には中心となる奉仕者が必要です。アイネアとドルカスの癒しは地方教会の建設になくてはならない事件だったわけです。アイネアは8年間の病魔から、ドルカスは死から救い出されたのです。この部分で目につく単語が「立ち上がる」と「起き上がる」です。これらは全て同じギリシャ語で「anistemi(アニステミ)」が使われています。そして「人々はみなアイネアを見て、主に立ち返った」の「立ち返る」はギリシャ語で「epistrepho(エペストレホ)」で戻る・向きを変えるの意味があります。つまり、この二人の人物の一件がそれぞれその地域の人々を悔い改め「metanoeo(メタノエオ)方向転換する」に導く要因となったのです。つまり、聖徒一人一人が悔い改めを経験し、立ち上がることが教会建設の必須条件なのです。
(3)理由は定かではないのですが、ペテロは、よりにもにもよって「皮なめし職」のシモン宅に滞在する(9:43)のです。が、当時動物(人間を含む)の死体に触れる職業は不浄な職務とされていました。「皮なめしのシモン宅に滞在すること」も「異邦人と接触すること」も同様な宗教上の違反行為です。この箇所は10章の「ペテロが白昼に見た幻」の伏線になっているのでしょう。想像の域を出ませんが、潜在意識にあることが夢幻となることが多いので、皮なめしのシモン宅に滞在することに後ろめたさを感じていたのかもしれません。

 

 

使徒の働き

Posted by kerneltender