使徒の働き7章

使徒の働き7章
=本章の内容=
➊ステパノの説教❷殉教の様子
=ポイント聖句=あなたがたの先祖たちが迫害しなかった預言者が、だれかいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを前もって告げた人たちを殺しましたが、今はあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました。(7:52)
=黙想の記録=《前置き》
🔴初代教会の歴史とステファノの捕縛
AD | 内容 |
29or30年4月頃 | イエスの十字架刑と復活 |
30 | イエスの大宣教命令 |
30年9月 | ペンテコステ(聖霊降臨) |
35・36 | ステファノが石打ち刑による最初の殉教者となる |
🔴ステファノは、ペンテコステの日からわずか5年足らずで殉教したことになります。ペテロ・ヨハネの捕縛、12使徒の捕縛、2つの事件から、エルサレムでの伝道活動は大変危険な行為であることは推測できたはずです。さらに、初代教会に加えられた人々の数と質を考えると、サンヘドリンが暴挙に打って出ることは容易に考えられたはずです。
🔴前章で、多くの祭司たちがナザレ派に寝返ったことを良しとしないサンヘドリンの議員とリベルテンの人々の利害が一致していた様子を挙げましたが、この為に、ステファノへの裁定は相当重罪になることは目に見えていたはずです。前章で法廷に立った「ステファノの顔が御使いの様に見えた」の一文がありましたが、「顔が輝いていた」と見るよりは、サンヘドリンの議員の「心の闇の深さを修飾」した文です。彼らはこれからステファノを石打にして殺害する計画を持っていたのです。ですから、彼らはまともにステファノを直視できなかったとも取れるのです。リベルテンの人々との密約がどのように交わされたかは分かりませんが、石打刑に判決を下すのは成り行きではなかったたのです。ナザレ派には今まで2度も釘をさしていたにも拘わらず、活動を継続しその影響力が増大していくのを看過できなくなったことも理由に挙げられるでしょう。ステファノの説教が彼らの逆鱗に触れた結果石打になったというよりもすでに織り込み済みの計画だったのです。
《1~53節》ステファノの説教
🔴『大祭司は、「そのとおりなのか」と尋ねた。(7:1)』で始まりますが、これは前章で偽証人の主張点、ステファノが「聖なる所(神殿・律法に対する冒涜を行った(6:11~14)。」を受けてのものです。ステファノはユダヤ教の根幹を築いた人の人物を引き合いに出し弁明していますが、重要なポイントは以下の通りです。
『(1)主なる神が特定の人物に声をかけたのが、それは異教の地、荒野など、固定された場所ではなかった(2)各世代にわたり、またエルサレムではない場所で、主なる神は数々の奇跡を行い、律法以外の約束の言葉も与えられた。(3)父祖たちは与えられた律法を守らず、逆に数々の偶像を作り出し、主なる神への背信行為を行ってきた。さらに警告を発してきた預言者を殺害してきた。(3)ダビデ・ソロモンの神殿建築は主の御心ではなかった。なぜなら、人の造作物の中に主は住まわれない。』
《54~60節》殉教の様子
🔴前章で取り上げたように、ステファノはヘレニスト(ユダヤ系ギリシア人)です。生粋のユダヤ人を前に、預言者同様の口の利き方で、最高法院を非難したのです。当然彼らの逆鱗に触れるのですが、さらに、ステファノの「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます」との言葉は、最後の一線を越えてしまったのです。つまりモーセの様に我が目で神を見たなどとモーセと自分を同等に置いたからです。
🔴彼らは石打ち刑でステファノを殺害しますが、これは殺生与奪の権利を有しないサンヘドリンの暴走でした。「上着を足元に置く」というのは、石打で血しぶきが法衣を汚すのを避けたものですが、この上着を預かったパウロはステファノの殺害に同意したことを表しています。
🔴ステファノの最期の様子を、ルカは「彼は眠りについた」という言葉を使っています。「死」は単なる通過点に過ぎないことを強調したかったのです。