使徒の働き6章

使徒の働き6章
=本章の内容=
➊ヘレ二ストとヘブライストとの摩擦❷ステパノの捕縛とサンヘドリンの招集
=ポイント聖句=そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵に満ちた、評判の良い人たちを七人選びなさい。その人たちにこの務めを任せることにして、(6:3)
最高法院で席に着いていた人々が、みなステパノに目を注ぐと、彼の顔は御使いの顔のように見えた。(6:15)
《1~7節》ヘレ二ストとヘブライストとの摩擦
🔴エルサレム教会には最初から2種類の大きなグループがありました。「ギリシア語を使うユダヤ人たち(ヘレニスト、)」とは、世界各地に離散したのちユダヤに帰還した人々です。「ヘブル語を使うユダヤ人たち(ヘブライスト)」とは、生粋のユダヤ人のことです。ギリシャ語圏にいたために、生粋のユダヤ人とは、生活習慣に微妙なすれ違いがあったようです。現在のシオニスト同様「帰属意識」から、または各地での「人種差別の難から逃れる」ために戻ってきました。彼らの中で特に顕著だったのが「イスラエルに埋葬されたいとの思いの強い寡婦たち」の存在でした。律法では寡婦への支援が義務つけられていたからです(申命記10:18)。ところが、実際は当時のユダヤではこの良き習慣がなおざりにされる風潮でしたから、元来「よそ者」である帰還した寡婦たちへの支援が行き届かなっかたのです。二つのグループの「微妙なすれ違い」がいつしか「摩擦」となり、この寡婦問題で表面化してしまったのです。この問題はすぐに使徒たちの取り上げるところとなります。その解決方法が「七人の奉仕者(口語訳では執事)」の選出だったのです。彼らはギリシャ語に堪能な人々でした。この適切な問題解決で一段と信徒が増え、理路整然としたグループであることが、祭司たちさえも加えられていくのです。この祭司たちはサドカイ派で、ステパノ事件のきっかけとなった人々でもありました。
🔴「七人の奉仕者」の選出にあたっては、「霊と知恵に満ちた、評判の良い人たち」という選択基準が置かれました。これは誰にも確認できる状況判断です。最後に使徒たちから「按手」を受け、人々から認知されました。ユダ亡き後の12番目の使徒を選ぶときはくじびきだったことから比べるとかなり慎重な方法を取りました。以下7人の情報です。
(1)ステパノ=(ヘレニスト、ユダヤ系ギリシア人)であり、初代教会において彼はヘレニストの代表であった。最初の殉教者。(2)ピリポ=12弟子のひとりとは別人。ステファノの殉教後、サマリアに宣教。エチオピアの女王に仕える宦官にイエスの教えを伝えて、これに洗礼を受けさせた。。そののちアゾトを経由し各地で宣教を行いながらカイサリアへ行った。その後ピリポはカイサリアに定住した。(3)プロコロ=イエス様の伝道旅行の際に派遣された70人の一人。アンテオケ教会の長老としてその場所で殉教。(4)ニカノル=ステファノと同日に起こった大迫害の際、その致命者(殉教者)2000人とともに殺されたと伝えられている。(5)ティモン=不明。(6)パルメナ=小アジアで宣教し殉教。(7)ニコラオ=「アンティオキアの改宗者」とあることから、ユダヤ人以外の人種であったことが推察される
《8~15》ステパノの捕縛とサンヘドリンの招集
(1)ステパノの殉教が起爆剤となり以降ヘレ二ストであるキリスト者への迫害が強くなり、これがきっかけに彼らは全世界に散らされることになります。最初の殉教であるステパノは7人の奉仕者の一人ではありましたが、12使徒同様な目覚ましい活動をしていました。彼はまた各地の会堂(シナゴーグ)に出向き説教したものと思われます。リベルテンは特定の地域を表すものではなく、ユダヤ教の中でも、世界各地でやむなく奴隷とされ、その身分から解放された人々のことを指しています。いったん自由の身となり、ある程度の財を築いた人々でもあります。この人々にとって、ユダヤ教の新たな会派に、自分たちの領域に踏み込まれ混乱させることに我慢が出来なかったわけです。議論の内容は定かではありませんが、「新しい会派は共同生活を強い蓄財を供出させる」という被害者意識が働いていたのかもしれません。根底にこのような思いがあったので、端からユダヤ教の神学論争はできなかったのです。ステパノのユダヤ教に関する幅広い知識の前に彼らは達受けできず、結局、力ずくでステパノを説き伏せようとするのです。「私たちは、彼がモーセと神を冒瀆することばを語るのを聞いた」と言わせたとは、イエス様を訴える偽証者と全く手法が同じです。多くの祭司たちがナザレ派に寝返ったことを良しとしないサンヘドリンの議員とリベルテンの人々の利害が一致したのです。
(2)偽証人の主張点は「モーセ・神・聖なる所・律法」に対する冒涜です(6:11~14)。これを受けてステファノは7章での抗弁をするのです。サンヘドリンが誘導したかったのは、『あのナザレ人イエスは、この聖なる所を壊し、モーセが私たちに伝えた慣習を変える』と彼が言うのを、私たちは聞きました。」(6:14)ということがらです。つまり「ステファノは、危険分子であるナザレ派の首領イエスの教えを踏襲したもの。その首領が死罪だったのだから、当然ステファノも死刑は免れない」との論法なのです。