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使徒の働き1章

使徒の働き1章
=本章の内容=

➊40日間の意義❷昇天(✕召天)❸ 祈り会&12番目の使徒の決定

=ポイント聖句=

しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。(1:8)
彼らはみな、女たちとイエスの母マリア、およびイエスの兄弟たちとともに、いつも心を一つにして祈っていた。(1:14)

=黙想の記録=

※私個人の考えですが。「聖霊のバプテスマ」はイエス様をキリストと受け入れた瞬間に聖霊なる神様が内住してくださる状況であって、ある時点の特異な体験のことを指していないと確信しています。
《1~8節》弟子の再教育
(1)「四十日にわたって彼らに現れ、神の国のことを語られた」場所は、8日間はエルサレムでしたが、後半はほとんどガリラヤでした。エルサレムからガリラヤ間は直線距離で120km。入り組んだ道伝いなら約200km。強行軍で日平均40km移動したとしても5日はかかる距離です。騒動が起きかねないエルサレムを離れ、弟子たちを再教育するために必要な避難行動です。40日間はとても長いと思われませんか。弟子に復活の御姿を現しただけでは、新しい活動をスタートするには不十分だったのです。「神の国(教会を含む)」について、今後与えられる「聖霊」について、聖書からひも解いていかれたのです。受難の時に胡散霧消してしまった弟子にしてみれば、こんな薄情で意志薄弱な者どもを再度招集してくれただけでも感極まったはずです。「復活の事実=死んでも生きる」を目の前にして、彼らは勇気百倍。ところが、この期に及んでもなお、「イスラエル再興を。さらに自分の地位」のことが気にかかるのです。彼らには神様の偉大な新規事業がこれから開始されることが理解できていないのです。今後の彼らの役目が、イスラエル再興ではなく「地の果てまで、わたしの証人となる」ことと、イエス様は根気よく彼らを教えられるのです。
(2)現代社会に生きる私たち委ねられた役目もまた「証人」なのです。口先の伝道ではなく、新生した姿で人生を送ることが「証」なのです。そしてこの役目を果たすには、助け主として送られる「聖霊なる神様」を受ける必要があるのです。次章五旬節での聖霊のバプテスマがそれです。
《9~10節》昇天(召天ではありません)
この昇天のご様子は、ガリラヤではなく、多くの弟子たちが残っていたエルサレム近郊のオリーブ東山麓の村、ベタニヤで起きたことです。天に上って行かれることを(新改訳2017)では「上がっていかれる」との言葉を使っていますが、ギリシャ語は「epairo(エパイロウ)」で「持ち上げる、高く上げる、自分を高める」などの意味があります。英語も「be taken up」を使い「climbやcrawl up」ではありません。自力で這い上がっていったのではなく、父なる神様によって天に呼び戻された訳です。「おいでになる」はギリシャ語で「erchomai (エルハマイ)」で、「来る・戻る・出現する・知られるようになる」などの意味があります。この単語をもって「空中携挙」か「地上再臨」を決定づけることはできません。「どうして天を見上げて立っているのですか」の天使の言葉は、弟子たちの唖然とした様子を表しているわけですが、同時に再び途方に暮れる心中も反映しているかのようです。
《12~26節》祈り会&12番目の使徒の決定
我に返った弟子たちは、今後のことで途方に暮れてはいたのですが、以前の弟子達とは様相が異なります。身の危険を感じるエルサレムに滞在しているのにも関わらず、彼らは120人も集合した集会を持つのです。これほどの大所帯であれば、当然官憲の目につくわけです。しかし、彼らは怯える節もなく大胆にそこで祈り会を開催するのです。この姿こそ、「ゲッセマネの園」でのイエス様の祈りの姿を実行したものです。その大胆さは「くじを引いてマッティアを11人の使徒たちの仲間に加えた」ことでも感じ取ることができるのです。悠長にくじを引いている場合でしょうか。しかし、残念ながら「くじを引く」行為は、聖霊の導きとは言えません。「イエス様の衣を獲得するためにくじを引いた(ルカ23:34)と同列なのです。聖霊の導きを待つべきでした。

 

 

 

 

使徒の働き

Posted by kerneltender