使徒の働き9-1章

使徒の働き9章-19:1~31
=本章の内容=
➊パウロの回心
=ポイント聖句=しかし、主はアナニアに言われた。「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子らの前に運ぶ、わたしの選びの器です。(9:15)
=黙想の記録=《1~31節》
(1)パウロについての基礎知識・・・ユダヤ名でサウロ(ヘブライ語)とも呼ばれる。古代ローマの属州キリキアの州都タルソス(今のトルコ中南部メルスィン県のタルスス)生まれのユダヤ人。職業はテント職人、生まれつきのローマ市民権保持者。ベニヤミン族出身でパリサイ派。に属し、高名なラビ、ガマリエル1世(ファリサイ派の著名な学者ヒレルの孫)のもとで学んだ。
(2)「ダマスコの諸会堂」のダマスコは現シリヤ南端の内陸部にありエルサレムから直線距離で約300km。この場所で彼はイエス様との衝撃的な出会いを経験します。この記事を見る限りパウロが「イエス様の顕現」により「日光網膜症」になってしまったものと思われます。書簡の中で「大きな字で・・・書いています」(ガラテヤ6:11)からも推測できます。日光網膜症による眼障害は古代ギリシャ時代から知られていますが、近年ですとガリレオ・ガリレイ(1564-1642)も自作の望遠鏡で障害を受けたとの記録があります。
(3)ここでの光は明らかに「神様の栄光」を指しています。罪人は「神の栄光」を見ることができないはずです。また見た者は死を覚悟しなければならないはずですが、パウロの命は永らえます。パウロは自身の書簡(へブル人を除く)の中で78回も「栄光」という言葉を使っています。特に「闇の中から光が輝き出よ」と言われた神が、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせるために、私たちの心を照らしてくださったのです。(コリント人第二4:6)」の聖句は、彼のこの出会いなしには生まれてこなかった言葉です。ユダヤ教を異端から死守するためにと「ナザレ派」信者を徹底的に迫害するのですが、熱情だけで動く彼にとって、この過激な行為こそは、自分が自分であることの証明だったのです。しかしその熱情こそは彼の霊的な目を曇らせていたのです。罪なき人の命を取り去ることも「正義」だと思い込んでいたのです。彼は自身が闇(書簡に11回使われている)の中にいることをこの時から直感していたのです。この神の栄光で一時的に漆黒の闇の中にお咎められていた自分を呼ぶ厳かな声が聞こえてきます。その声の主こそ激しい怒りの矛先であった「イエス様」その方でした。パウロだけでなく人が回心する際の原則もまた「闇を照らす光と声」です。「聖霊なる神様によって闇が暴かれ、聖書にある福音を心の耳で受け入れる」プロセスが必要なのです。
(4) 「目が見えず、食べることも飲むこともしなかった」三日間は、混乱している心を整理するのに欠かせないものでした。パウロは悔い改めに要する時間が、たったの三日間でしたが、凡人である私たちはその数十倍も数千倍もかかるかも知れません。信仰告白する前とその後で、対人関係を含む生活様式に変化が見られないのなら、あるいは価値観や人生観に大差が見られないのなら、それは「悔い改め」ではなく「思い込み」です。
(5)パウロには「アナニア」という先輩キリスト者がいました。彼に最大使命は「パウロを導く」ことでした。このアナニアは前にも先にもこの箇所しか出てきません。アナニアとイエス様の会話は幻の中でとありますが、アナニアはすでにパウロが大きな衝撃を受けた事件を耳にしていたことでしょう。しかし、気になってはいましたがそれ以上のことは考えにも及ばなかったのです。「パウロを導く」という神様のご命令は、彼にとって心痛を伴うものでした。信用されているキリスト者とは言え、迫害者という前歴のある人物をキリスト者として受け入れまたエルサレム教会に責任をもって出会わせなければなりません。単なる思い付きでこの召命を遂行できるはずがないのです。ここにもアナニアの「闇を照らす光と声」があったのです。サウロに実際に出会い按手したときに目が見えるようになったことがそれです。