テモテへ手紙第二 4章
テモテへの手紙第二 章4
=本章の内容=
❶御国のことを思うなら❷神の家族
=ポイント聖句=
ルカだけは私とともにおります。マルコを伴って、いっしょに来てください。彼は私の務めのために役に立つからです。(4:11)
私の最初の弁明の際には、私を支持する者はだれもなく、みな私を見捨ててしまいました。どうか、彼らがそのためにさばかれることのありませんように。(4:16)
黙想の記録
●世界の終末は自然界や社会現象だけでなく、基督教会の中にも顕著に表れてきます。教会内では「人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。 」という状況が現れてくるのです。偽教師を招き入れる要因は招き入れる教会にも責任があるのです。こうした状態が起こってしまう要因もまた地方教会の信徒が自ら学ぶことを否むところにあるのです。
●本章には15人の兄弟姉妹の名が出てきますが、唯一デマスが享楽の街テサロニケへ行ってしまいます。が、クレスケンス・テトス・テキコはパウロに遣わされてそれぞれの地域教会へ牧会するようになります。このように偉大な働きをする人物には、気心の知れた祈りと具体的な生活支援をするサポーターが数多くいました。この姿こそ、基督者が神の家族である所以なのです。
●パウロが主にある兄弟姉妹をいかに深く愛していたかをこの最終章から垣間見ることができます。第一はマルコです。マルコはバルナバのいとこです。彼はパウロの伝道旅行に同行しましたが、途中で投げ出しエルサレムに帰ってしまいます。このことでパウロは次回の伝道旅行に同行するのを拒否しました。しかしここでのマルコの評価は別人の様な取り扱いをされています。マルコはこの恥ずかしい戦線離脱と言う不名誉な時を境として、信仰者として同労者として大きく変わったのです。パウロは一度の失敗で仲間を切り捨てる人ではなかったのです。第二に11節に見られるパウロを見捨てていった兄弟姉妹への思いやりです。この失敗の為に「神様の愛の鞭があったとしても、見捨てられることがない様に。」ととりなしているのです。
●残念ながら基督教会の指導者の中にも、「自分に楯突いた」とか「こんな失敗をしでかした」とか「奉仕に加えても何の効果ももたらさない」という理由で、主にある兄弟姉妹に平気でレッテルを貼りたがる人物がいます。
教会は会社や何かの組織ではないのです。この子は勉強もできない体育も家の手伝いも、そして迷惑ばかりかけているという理由で我が子を見捨てることができますか。状況によってはそれも止む無しと思うのなら、あなたは神の家族とは言えません。