テモテへ手紙第二 3章
テモテへの手紙第二 3章
=本章の内容=
❶終わりの時代に登場する人物❷迫害を受ける者➌聖書とは
=ポイント聖句=聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。(3:16~17)
=黙想の記録=●本章には終わりの時代に登場する19通りの人物像をリストアップしています。現代このリストの中で法律上の犯罪行為と言えるものはありません。このリストの中に「これくらいは目をつぶっていいのでは?」と思われる人物像を見つけたとするのなら、あなたはすでに神様の側にいません。
●ヤンネとヤンブレの名前は旧約聖書には出てきませんが、この人物はパロに仕えていた魔術師です。彼らは当時の全ての学問に長けた人たちですが、人々の目をくらませることはできても、創造主を知る知恵においては腐っており、信仰とは程遠い人物たちでした。いくらモーセとアロンのまねをしたとしても、創造主からの力には勝てなかったのです。私たちの適応するなら、この世の知恵や知識、そして情報をどれだけ身に付けていようと、創造主を見つけ出すことはできず、また絶大で深遠なな様の力など経験できようはずがないのです。さらに言うなら神様の御心など知る由もないのです。「いつも学んではいるが、いつになっても真理を知ることのできない者たち」とはこのような人物のことです。
●「聖書」を「読む」だけで済まそうとするなら、それはお経を読んでいることと何ら変わりがありません。「聖書」から「神様の知恵」を得るまで黙想によって日々探らなければ、「神の人」つまり「良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者」にはなれないのです。これが「聖書に親しむ」ことなのです。極端な言い方をすれば一カ月に一章だけしか進まなかったとしても、その一章から神様のお声を一言でも聴くことができれば、それで充分です。「聖書を読む」ことが義務になっていませんか?