最新情報

テサロニケ人へ手紙第二 3章

テサロニケ人への手紙第二 3章
=本章の内容=

❶悪者どもとは❷締まりのない歩み方と使徒の模範➌最後の挨拶

=ポイント聖句=

どのように私たちを見ならうべきかは、あなたがた自身が知っているのです。あなたがたのところで、私たちは締まりのないことはしなかったし、人のパンをただで食べることもしませんでした。かえって、あなたがたのだれにも負担をかけまいとして、昼も夜も労苦しながら働き続けました。それは、私たちに権利がなかったからではなく、ただ私たちを見ならうようにと、身をもってあなたがたに模範を示すためでした。(3:7~9)

=黙想の記録=

●当時教師と呼ばれる者たちは、教会の中に潜入し、知識階級を作っていました。彼らは聖書的な知識がない信徒を上から目線でいつも見下し、また、奴隷やその他体力勝負の仕事をしている人々などを軽蔑さへしていました。彼らの収益は、様々な訴訟問題に積極介入して得る仲介料であったり、博識をひけらかすために行われる各種の講演活動からの謝礼であったりしたのです。つまり舌先三寸で利得を得ようとしていた人々だったのです。
●「締まりのない歩み方」をしていたのはこの人々とそれに感化を受けてしまった人々です。彼らの説教はとてもセンセーショナルで刺激的で、特に再臨についての説教は若者たちに沸き立つ思いさへ与えるほどだったのです。青年壮年の信徒たちは、落ち着いた仕事をすることを馬鹿らしく感じ、自ら預言者気取り伝道者気取りを装うことがステイタスとさへ思い始めていたのです。テサロニケ教会は比較的若い信徒が多かったので、純真無垢だったため、単純に騙されていったのです。パウロは「働きたくない者は食べるな」と強い口調で、この生活に釘を刺したのです。さらにパウロはそして有言実行の人として、自らの生活費は自ら捻出するために日々汗して働くという模範を残していったのです。
●残念ながら現代の日本教会の中にもこの類の教職者が紛れ込んでいます。結局のところ、自分に目を向けさせようと粉骨砕身の努力はしますが、信徒はキリストに目を向けることをしなくなります。さらに病的なのは、聖書を信徒に止めさせ、代わりに「自分の言葉こそ現代の預言」といって憚らないのです。