テサロニケ人へ手紙第二 2章

テサロニケ人への手紙第二 2章
=本章の内容=
❶不法の人の出現と背教❷引き止める者➌選び出された者
=ポイント聖句=霊によってでも、あるいはことばによってでも、あるいは私たちから出たかのような手紙によってでも、主の日がすでに来たかのように言われるのを聞いて、すぐに落ち着きを失ったり、心を騒がせたりしないでください。(2:2)
=黙想の記録=●不法の人反キリストはサタンによって送られた特定の人物です。歴史上「私は神だ」と公言してきた人物は数え切れません。日本では太平洋戦争まで「軍神」と呼ばれる人々がいました。軍神は潔い散り方つまり死に様を軍人に植え付けるために用意されたもので、これもまた人間が作り出した宗教のひとつとは言えないでしょうか。米軍捕虜になったの小型潜水艦特高部隊の一人は酒巻少尉でした。彼もまた自決して軍神の名を担ごうとしましたが、米国人の説得により一命をとりとめただけでなく、人間性を取り戻し、以降自決しようとする多くの日本兵の命を救ったのです。
●不法の人はまた滅びの子とも呼ばれているのは、彼の人生の目的が、いかに多くの人々を「永遠の命から目をそらせ、永遠の滅びに引き込むこと」にあったのです。ここで「引き止めているもの」とは人格を持っておられる私たちの助け主、つまり聖霊のことと解釈されています。しかし、この聖霊が基督者と共にこの世に存在しなくなった時点から、反キリストの天下が始まると解釈されています。(プリマスブラザレンは一部例外を除き、ほぼこの時を「患難前空中携挙」としています)
●この反キリストの到来に関しては、現在、それを匂わせるような現象がそこかしこと見えていますが、それだからと言って「主の日」を特定できるはずがありません。私たちはむしろ、この2章に書かれているように「落ち着いた生活」を送ることを心がげるべきです。
※ここで私自身は「患難前空中携挙」の立場を取っています。ユダヤでは古から二つの婚礼の儀式が存在しています。初めに行われるのが「花婿が花嫁を迎えに来て花婿の家で結婚式を執り行う」ものです。第二はガリラヤのカナでも行われた「親類縁者を集めての盛大な披露宴」です。私はこの点に着目しています。空中携挙については異論をお持ちの方もおられると思いますが、ここではあくまで私流の解釈を投稿させていただいています。