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サムエル記第二23章-1

サムエル記第二23章-1(1-7節)
=本章の内容=

❶ダビデの最期のことば

=ポイント聖句=

5,まことに私の家は、このように神とともにある。神が永遠の契約を私と立てられたからだ。それは、すべてのことにおいて備えられ、また守られる。神は、私の救いと願いを、すべて育んでくださるではないか。

=注目聖句=

1,これはダビデの最後のことばである。エッサイの子ダビデの告げたことば。いと高き方によって上げられた者、ヤコブの神に油注がれた者の告げたことば。イスラエルの歌の歌い手。(新改訳2017版)

1,これは、ダビデの最後のことばです。「エッサイの子ダビデは告げる。ダビデ、神からすばらしい勝利と祝福を授けられた者。ダビデ、ヤコブの神から油を注がれた(特別に選ばれた)者。ダビデ、イスラエルの麗しい詩人。(リビングバイブル)

1,Now these be the last words of David. David the son of Jesse said, and the man who was raised up on high, the anointed of the God of Jacob, and the sweet psalmist of Israel, said,(KJV)【直訳】これがダビデの最後の言葉。エッサイの子ダビデは言った。高き所に引き上げられた者。ヤコブの神の油を注がれた者。イスラエルの優しい詩人はこう言った。

=黙想の記録=

❶1-7節:ダビデの最期のことば・・・23章のこの部分は22章のダビデの詩篇に続くものですが、作者は「これはダビデの最後のことばである。」と断り書きをしています。22章もそうでしたが、ここにはダビデが犯した大罪に対する悔恨の言葉は見つかりません。「5,まことに私の家は、このように神とともにある。神が永遠の契約を私と立てられたからだ。」とあり、イスラエル王国の永遠性を主なる神様が約束されていることをダビデの口を借りて記録したものと考えられます。「4,その者は、太陽が昇る朝の光、雲一つない朝の光のようだ。雨の後に、地の若草を照らす光のようだ。』」とありますが、作者の目には「哀れな満身創痍のダビデの姿つまり、彼の性欲まみれの人生やその結果引き起こされて来た息子たちの犯罪行為や反逆・悲劇的な死」はないのです。また後継者である王子たちが預言者たちの理想から如何にかけ離れた存在となっていたかは胸中に無いのです。逆に「姦淫という大罪の結果生まれたバテ・シェバとの第一子は7日間で死んだ」という事実、「粗暴にして無知蒙昧で不道徳なアムノン、異教徒の帝王学を学んでいた反逆者アブシャロム」が後継者から外された事実は、明らかに厳然たる主なる神様の御手によるとサムエル記の作者は悟っていたのです。「油を注がれた者」とは「逸脱を決して許さない裁き主である神の御手の中にある者」という意味でもあるのです。また「6-7, しかし、神に背を向ける者は、いばらのように投げ捨てられる。彼らは武装した者に切り捨てられ、火で焼かれる。(リビングバイブル)」とあるように「油を注がれた者」とは「不動の御手を持って全ての敵の攻撃から守られている者」という意味を持っているのです。

1,これはダビデの最後のことばである。エッサイの子ダビデの告げたことば。いと高き方によって上げられた者、ヤコブの神に油注がれた者の告げたことば。イスラエルの歌の歌い手。
2,「主の霊は私を通して語り、そのことばは私の舌の上にある。
3,イスラエルの神は仰せられた。イスラエルの岩は私に語られた。『義をもって人を治める者、神を恐れて治める者。
4,その者は、太陽が昇る朝の光、雲一つない朝の光のようだ。雨の後に、地の若草を照らす光のようだ。』
5,まことに私の家は、このように神とともにある。神が永遠の契約を私と立てられたからだ。それは、すべてのことにおいて備えられ、また守られる。神は、私の救いと願いを、すべて育んでくださるではないか。
6,よこしまな者たちはみな、根こそぎにされた茨のようだ。それらは手に取ることができない。
7,彼らを打つ者はだれも、槍の刃や柄で武装する。彼らはその場で、火で焼き尽くされる。」