サムエル記第二19章-2
サムエル記第二19章-2(9-23節)
=本章の内容=
❷エルサレムへの帰還➌シムイとツィバの迎え
=ポイント聖句=9,イスラエルの全部族の間で、民はみなこう言って争っていた。「王が敵の手から、われわれを救い出してくださったのだ。われわれをペリシテ人の手から助け出してくださったのは王だ。ところが今、王はアブサロムのいるところから国外に逃げておられる。
12,あなたがたは、私の兄弟、私の骨肉だ。なぜ王を連れ戻すのをいつまでもためらっているのか
=黙想の記録=❷9-14節:エルサレムへの帰還・・・終戦後イスラエルの全部族で大きな混乱が生じます。イスラエル11部族そしてアブシャロムを指示していたユダ部族の人々はアブシャロムとその俄か作りの二万人の軍隊を一気に失って慌てふためきます。全イスラエルがアブシャロムを支持して来た一派とアブシャロム指示に消極的な一派に分かれそれぞれの部族内で大議論が起こります。しかし、戦いの勝者はダビデです。彼らのご都合主義には呆れてしまうばかりです。今頃になってダビデの価値を云々するのです。ペリシテ人などの外敵から命がけで諸部族を守って来たのはダビデその人です。アブシャロムにその実績は一つもないのです。懸命な部族長ならそのくらい理解していて当然なのです。そもそもアブシャロムを支持したのはダビデの国王として精彩が徐々に失せていくよう様に見え、アブシャロムの行動力に次第に魅力を感じてきたからです。元はと言えば全てダビデに問題の根源があったのですが、もっと元を辿ればイスラエル全部族が主なる神様に禁じられていた「国王を立てよりたこと」また「国王に国政を丸投げしたこと」が元凶なのです。本来の姿つまり諸部族が力を合わせ心を合わせ主なる神様の御心を求めて行動する「主なる神様中心の政治形態」を放棄してしまったからなのです。魅力ある力ある人物がリーダーにしその人物の指示通り行動すれば、それほど楽なことはないのです。また主なる神様にいちいち伺いを立てずに「この世の優れたシステム」つまり当時の大国で行われていた「絶対王政や専制君主制」を導入した方が効率的能率的に国を発展させると思い込んでいるのです。11部族の長老たちはダビデの恭順の意思をダビデに次々と伝えに来たことでしょう。ところがエルサレムにはアマサ率いるアブシャロム軍の残留部隊がおりまたヘブロンにはアブシャロム擁立に尽力した長老たちがいたため、ユダ族は他の11部族に一歩遅れた反応でした。この人々はダビデ王の報復を恐れ身を隠す算段をしていただけなのです。ダビデ王は煮え切れないユダ族を触発する為祭司ツァドクとエブヤタルを介しユダの長老たちとアサフ将軍にダビデをエルサレムに迎え入れる様に促します。「12,どうして、王の復帰をまだためらうのか。民はすっかりその気でいるのだ。ためらっているのはあなたたちだけだ。もともと、あなたたちは私の兄弟、同族、まさに骨肉そのものではないか。(リビングバイブル)」「双方にわだかまっている様々な恩讐を超えて今ユダ族として結束しようではないか」と要約できます。本来ならこれらの逆賊どもを武力をもって討ち取り楽々とエルサレムに帰還することができたはずです。それでは無慈悲な異教徒の支配者と同様なのです。ダビデの言葉には説得力がありました。ユダ族はようやくダビデ王帰還の要請を伝えるのでした。
➌15-23節:シムイとツィバの迎え・・・斯くしてダビデはエルサレム帰還の途に就くのでした。ダビデ一行がマハナイムからエリコの近くのヨルダン川東岸に到着すると、ユダ族の長老たちは対岸のギルガルに馳せ参じました。いつの時点かは定かではありませんがベニヤ民族つまりサウル一族関係者であったシムイとツィバの二人も顔を揃えて迎えに来ていました。シムイに至っては厚顔無恥甚だしい人物で都落ちしていくダビデを遠くから罵りダビデの部下の怒りを買った人物です。ここで注目すべきはシムイが「17,彼は千人のベニヤミン人を連れていた。」ことです。この1000人は明らかに男性でありベニヤ民族の民兵のことです。シムイは単なる愚か者ではなかったのです。彼はベニヤ民族の実力者の一人であったことが今更ながら判明するのです。「20,・・・今日、ヨセフのすべての家に先立って、わが君、王様を迎えに下って参りました。」の「ヨセフの家」とは「マナセ族とベニヤ民族」のことを示す言葉ですが、シムイの言葉にはかなりの実力者としての自信のほどが伺えるものです。あの時迂闊に彼を処断していればこの1000名の兵はそれ以上の大群となって襲って来たかも知れなかったわけですから。またメフィボシェテの従者であるツィバが一族郎党(十五人の息子、二十人の召使い)を連れて来ています。ツィバはダビデが都落ちした直後に支援物資を提供した人物です。サウル家を代表する人物です。彼らはダビデと行動を共にしてはいませんがアブシャロムの側にも付いていません。つまりアブシャロムの反乱の行方を静観していただけです。何も傷つく物がなかった訳ですからある意味とても賢い人物達なのです。しかしこうした打算で動くような人物ではあっても今のダビデには貴重な存在に違いありません。かつてはダビデを敵視していた代表格のベニヤミン族の実力者がダビデに恭順の意を示す為に来ているからです。彼らの行動は他のイスラエル10部族の行動に拍車をかけるようなものだからです。「22,ツェルヤの息子たちよ」と声を掛けることからするとアビシャイだけでなくヨアブもダビデと行動を共にしているのは明らかです。アビシャイは典型的な武人で兄ヨアブと異なり政治色はありません。兄ヨアブ同様衝動的に行動する人物で「22,そんなことばは控えなさい。」これで二度目の叱責をダビデから受けるのです。衝動とは一時の感情に突き動かされることです。後先を熟慮することなく行動するのは危険を呼び込むことすらあるのです。打算で動く人々衝動で動く人々。ダビデはこうした人々と付き合いあるいは御していかなければならないのです。