サムエル記第二16章-2

サムエル記第二16章-2(5-14節)
=本章の内容=
❷ダビデを呪うシムイ
=ポイント聖句=11-12,ダビデはアビシャイと彼のすべての家来たちに言った。「見よ。私の身から出た私の息子さえ、私のいのちを狙っている。今、このベニヤミン人としては、なおさらのことだ。放っておきなさい。彼に呪わせなさい。主が彼に命じられたのだから。おそらく、主は私の心をご覧になるだろう。そして主は今日の彼の呪いに代えて、私に良いことをもって報いてくださるだろう。」
=黙想の記録=❷5-14節:ダビデを呪うシムイ・・・他人に攻撃的になってしまうのは不安や焦燥感が原因です。現代流に言えば「反社会性パーソナリティ障害」という精神疾患です。シムイの行動は正にこの障害の典型例と言えます。そこでまずこの障害の特徴についてまとめてみます。
【反社会性パーソナリティ障害の特徴】 [1]なんらかの不安や焦燥感に苛まされている状態にいる。 [2]他者や自分に悪い影響を及ぼすことを予想することができない [3]良心の呵責や罪悪感を覚えることがありません。自分を正当化する。 [4]他者の様々な権利を軽視し侵害する行動を躊躇する様子が見られない。 [5]平気で虚言を作り出しあたかもそれが正当であるかの様に思い込む。 [6]ターゲットにしやすい人を見つけ悪口をいったり言いふらしたり、あるいは微細ないたずらをしかけ困らせようとする。しかもいったんスイッチが入ると自分で止めることができない。●シムイの様子をまとめてみましょう。
第一に、シムイは不安焦燥感に駆られています・・・「サウルの家の一族の一人」とありますが、元々サウル家はベニヤミン族の中でも極小部族です。ベニヤミン族は過去にイスラエル全部族から攻撃を受け消失寸前の部族でしたがサウル王の即位によってイスラエル全部族を統率するほどの重要部族となったのです。ところがサウル王朝は一代限りでその後釜をユダ部族のダビデに横取りされてしまったのです。全く面白くありません。シムイは活躍の場を失ってしまったという焦燥感に駆られているわけです。
第二に、シムイは他者や自分に悪い影響を及ぼすことを予想することができません・・・「6彼は王と側近、さらに護衛の勇士のだれかれかまわず、石を投げつけました。(リビングバイブル)とありますが、無防備なシムイに対しダビデは屈強の兵士で囲まれています。「9,この死んだ犬めが、わが主君である王を呪ってよいものでしょうか。行って、あの首をはねさせてください。」とアビシャイは進言します。ダビデの命令がもし下っていればたちまち殺されたことでしょう。護衛兵が即座に切りかかって来る事ぐらい健常な人なら予測できるはずなのです。
第三に、シムイが語っていることは全て作り話です・・・「7-8,出て行け、出て行け。血まみれの男、よこしまな者よ。主がサウルの家のすべての血に報いたのだ。」とシムイは言っています。ところで思い出してください。ダビデに対しサウルは何をしてきたのでしょうか。命を付け狙っていたのは寧ろサウルの方です。ダビデはサウル殺害のチャンスはあってもそれを実行していません。「血の報い」と言っていますが、サウルと息子たちは自ら招いた不利な戦いでの戦死。残った息子のイシュボシェテを殺害したのは元々サウルの配下にいたカナン人の傭兵です。シムイがダビデに付けた罪状は全くの言いがかりであることが分かります。
第四に、シムイは怒りの感情にいったんスイッチが入ってしまったので自分の感情を抑制できない状態です・・・「13,・・・シムイは、山の中腹をダビデと並行して歩きながら、呪ったり、石を投げたり、土のちりをかけたりしていた。」は正にこの症状そのものです。
●ダビデの対応についてまとめてみます。・・・ダビデの言動には現在でも通用する「【反社会性パーソナリティ障害」の人物への接し方のこつが表現されています。
[1]アビシャイの直情的言動を抑えたこと・・・シムイの言動に敵対心をもって対応していません。この感情がシムイに伝わればさらに怒りの感情が増幅してしまうからです。 [2]シムイの気持ちに寄り添ってあげたこと・・・「11,見よ。私の身から出た私の息子さえ、私のいのちを狙っている。今、このベニヤミン人としては、なおさらのことだ。」のダビデの言葉は非常に冷静な言葉でシムイの置かれた状態を良く把握しています。 [3]感情が覚めてくるまで根気よく待ち続けたこと・・・「13,ダビデとその部下たちは道を進んで行った。シムイは、山の中腹をダビデと並行して歩きながら、呪ったり、石を投げたり、土のちりをかけたりしていた。」シムイのなすが儘にしているのです。報復処置を決して取らせません。●以上は、ターゲットになっている人物が健康的な環境にあり健全な精神状態で「反社会性パーソナリティ障害」をもつ人物に対する知識がありさへすれば、ダビデでなくても誰にでもできることです。しかしダビデの今の状況は苦境であり精神的に追い詰められている状態なのです。ですからこうした対応は主なる神様への絶対的信頼がなければ決して不可能なのです。「11-12, 放っておきなさい。彼に呪わせなさい。主が彼に命じられたのだから。おそらく、主は私の心をご覧になるだろう。そして主は今日の彼の呪いに代えて、私に良いことをもって報いてくださるだろう。」の言葉に一切を委ねきったダビデの信仰の清々しさが見てとれます。
=注目地名=地名①バフリム(5):英語Bahurim;ヘブル語バフリーム[若者達の村]・・・エルサレム北東6.4kmの村。ヨルダン渓谷上途上にあったとされる。かつてパルティが妻ミカルを追って来たところアブネルに追い返された場所。(Ⅱサムエル3:16)
=注目人物=人物①ゲラ(5):英語Gera;ヘブル語ゲィラー[粒]
人物②シムイ(5):英語Shimei;ヘブル語シムイー[有名な]・・・アブシャロムの反乱の際にバウリムにでダビデ一行に石を投げ呪った人物。アブシャロムの死後王のもとにひれ伏し許しを請う。ダビデは一旦は赦免したものの臨終の床でソロモンにシメイ処刑を言い渡した。ソロモンがエルサレムでの蟄居を命じたが逃亡した二人の奴隷を取り戻すためガテに行ってしまった。外出禁止の命令を守らなかった罪で処刑される(Ⅰ列王記2:36-46)