サムエル記第二15章-5

サムエル記第二15章-5(30-37節)
=本章の内容=
❺フシャイの存在
=ポイント聖句=30-32,ダビデはオリーブ山の坂を登った。彼は泣きながら登り、その頭をおおい、裸足で登った。彼と一緒にいた民もみな、頭をおおい、泣きながら登った。そのときダビデは、「アヒトフェルがアブサロムの謀反に加担している」と知らされた。ダビデは言った。「主よ、どうかアヒトフェルの助言を愚かなものにしてください。」ダビデが、神を礼拝する場所になっていた山の頂に来たとき、見よ、アルキ人フシャイが上着を引き裂き、頭に土をかぶってダビデに会いに来た。
=黙想の記録=❹30-37節:フシャイの存在・・・エルサレムから降りてオリーブ山の頂まで約1km時間にして僅か1時間。素足で登ったとありますから少々時間が追加されるかもしれません。追手がいつ来るかもしれないのに随分のんびりしていると思わいませんか。しかし逆に言えばダビデにとってこの時間がとても掛替えのないものでした。「30,ダビデはオリーブ山の坂を登った。彼は泣きながら登り、その頭をおおい、裸足で登った。彼と一緒にいた民もみな、頭をおおい、泣きながら登った。」とあります。前述した様にアブシャロムのクーデターは主なる神様の御意志「今や剣は、とこしえまでもあなたの家から離れない。」(Ⅱサムエル12:10)。から出たものであることを自覚していたのです。バテ・シェバとの姦淫事件やウリヤ殺害事件は死罪に該当する大罪です。それ以上に養父の様な主なる神様の心を傷付け、さらには敵(ペリシテ人だけでなく主なる神様に敵対する悪魔)に侮りの機会をも与えてしまったのです。重臣にも民の間にも知れ渡ったことです。ダビデは大いに恥を受けるべきです。また大いに悲しむべきです。短時間であってもその行為が自分の為にもそしてダビデを信頼して運命を共にする人々にとっても必要な時間だったのです。驚異的なのは悔い改めはダビデ一人で行ったのではなく、臣下や家族そして民に至るまで心を一つにして嘆き悲しんだのです。単にエルサレムから追放されたことへの悲哀ではなく一時とは言え「主なる神様に見限られた」ことへの悔しさであり悲しさなのです。「悔い改め」の時間を終了した途端さらにダビデには衝撃的なニュースが飛び込んできます。それは「アヒトフェルの裏切り行為」です。それを聞いたダビデはアヒトフェルに「報復としての死が訪れること」を願っていません。「31,主よ、どうかアヒトフェルの助言を愚かなものにしてください。」と、ここでもダビデは主なる神様の介入に委ねているのです。またダビデは経験から「狡猾な人物の助言は、外敵よりも甚大な被害をもたらす」ことを知っていたとも思われるのです。アルキ人フシャイがこのタイミングでやって来たのは偶然ではありません。聡明な助言者ではありますが日和見主義で狡猾なアヒトフェルに対し、物知りの古老フシャイの忠義心と献身を比較したものです。確かに年を取っていればダビデ一行の足手まといになることは目に見えています。しかしダビデは古老は古老としての働きがあることをフシャイに告げます。年寄りのフシャイに向かって「おいぼれは役に立たぬ。さっさと帰宅せよ。」と冷たくあしらったのではなく、年配者としてアブシャロムの相談役となり、敵の動きを攪乱することができるのはフシャイをおいて他にはいないことを告げるのです。フシャイはアブシャロムからも「ダビデの友」と呼ばれるほど信頼に厚かった人物です。後にその人間がダビデを裏切ってアブシャロムの側に付いたことをアブシャロムは大いにかうのです。(Ⅱサムエル17:14)
=注目語句=語句①頭をおおう(30):英語had his head covered;ヘブル語ハファー・ロシュ[覆う・頭]・・・他者からの激しい屈辱を表現する方法
語句②裸足で登る(30):英語barefoot:;ヘブル語・ハラフ・ヤへイフ[歩く(移動する,進む)・裸足で]・・・自らに湧きおこる激しい恥辱を表現する方法
語句③アルキ人(32):英語Archite;ヘブル語エルキー[非常に長い,長期にわたる,長くて退屈な]・・・エフライムの国境にあるエレクという名の場所から由来する
語句④重荷になる(33):英語burden;ヘブル語メッサ―[負荷,負担,重荷] =注目地名=
地名①オリーブ山:英語;ヘブル語[]・・・エルサレムの東キドロン渓谷の上にそびえ立つ三つある尾根の一つで最も高い(820m)。その向こうの砂漠地帯からエルサレムを遮蔽している。礼拝の場所があったかは不明。
=注目人物=人物①フシャイ(32):英語Hushai;ヘブル語フシャイ[急ぐ,焦る]・・・アブシャロムが「ダビデの友(Ⅱサムエル16:17)」と呼ぶほどダビデと親しい間柄だったことからダビデと同年配か上の人物と思われる。