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サムエル記第二14章-4

2024年6月28日

サムエル記第二14章-4(28-33節)
=本章の内容=

❻ダビデ王に会うため

=ポイント聖句=

32,アブサロムはヨアブに答えた。「ほら、私はあなたのところに人を遣わし、ここに来るように言ったではないか。私はあなたを王のもとに遣わし、『なぜ、私をゲシュルから帰って来させたのですか。あそこにとどまっていたほうが、まだ、ましでした』と言ってもらいたかったのだ。今、私は王の顔を拝したい。もし私に咎があるなら、王に殺されてもかまわない。」

33,ヨアブは王のところに行き、王に告げた。王はアブサロムを呼び寄せた。アブサロムは王のところに来て、王の前で地にひれ伏して礼をした。王はアブサロムに口づけした。

=黙想の記録=

❻28-33節:ダビデ王に会うために・・・ヨアブの説得によって折角エルサレムに帰国したのです。帰国した途端蟄居を命じられ、以降2年間もダビデ王に面会すらできないのです。これでは話が違うのです。ダビデ王からもまた説得に来たヨアブまで何の音沙汰もないのです。また当てにしていた民衆の声も次第にトークダウンしていきます。このままでは妹タマル同様世捨て人になってしまうのです。「蛇の生殺し」とはまさにアブシャロムのこの有様のことです。この状態はまたアブシャロムの美意識から大きく外れているのです。しかしダビデ王やヨアブにとってこの2年間はアブシャロムの猛省の期間と位置付けていたのですが、かえってアブシャロムの疑心暗鬼を増幅させていくとは思ってもいなかったようです。ダビデ57才、アブシャロム26才。アムノン殺害・国外追放から5年目のことでした。アブシャロムの性格からすると蟄居生活は到底我慢ができないものです。そこでアブシャロムはヨアブを介してダビデ王への謁見を二度も要請したのですが「なしの礫(つぶて)」なのです。ヨアブとすればアブシャロムとダビデ王との仲介をとったことがダビデ王には要らぬお節介であるかのように思えたのです。それが証拠に折角ダビデ王に引き合わせたのにアブシャロムの顔を見ることもせずに蟄居を命じたからです。ですから迂闊に物事を企てればダビデ王の逆鱗に触れることは必至です。黙してダビデ王が心変わりするまで行動すまいと決めていたのでしょう。ところが二度も仲介を依頼したのに何の返答も来ないことはヨアブにとって我慢のならない対応でした。「29,アブサロムは・・・ヨアブのもとに人を遣わしたが、・・・。アブサロムはもう一度、人を遣わしたが、・・・。」とありますが、なぜ自らヨアブの元に足を運び懇願することがなかったのでしょう。そこにもアブシャロム特有の美意識が邪魔をしていたのです。つまり臣下であるヨアブが自ら自分ところに足を運ぶべきところを、王子であるアブシャロムが臣下の元に足を運ぶのは筋違いと考えていたからなのです。ですから遣いを送ってヨアブを自分の元に呼びつけたのです。アブシャロムはヨアブの横柄な態度に我慢できなかったようです。『30,アブサロムは家来たちに言った。「見よ。ヨアブの畑は私の畑のそばにあり、そこには大麦が植えてある。行って、それに火をつけよ。」アブサロムの家来たちは畑に火をつけた。』という無謀な手段でヨアブを脅すのです。アブシャロムの家来は彼の命令ならアムノン暗殺も厭わなかった者つまりアブシャロムの私兵だったのです。いざとなればヨアブをも暗殺しかねない者達でもあったのです。これはヨアブを震え上がらせました。「31,ヨアブは立ち上がり、アブサロムの家に来て・・・」の文はヨアブの狼狽ぶりを表現したものです。ヨアブはダビデ王の臣下であり将軍です。アブシャロムが私兵を使ってヨアブに危害を加えるということはまかり間違えばダビデ王に対する反逆と見なされる行為です。事を荒立てぬ前にヨアブは事態の収拾のため急いでアブシャロムを訪問します。アブシャロムの帰還を勧めてきたのはヨアブです。ならば本来ダビデが黙して語らなかった期間でもヨアブはアブシャロムに面会し今後のことを語り合う必要があったのです。「32,・・・わたしはお前に来てもらおうと使いをやった。お前を王のもとに送って、『何のためにわたしはゲシュルから帰って来たのでしょうか、これではゲシュルにいた方がよかったのです』と伝えてもらいたかったのだ。王に会いたい。わたしに罪があるなら、死刑にするがよい。(リビングバイブル)」はアブシャロムの本心です。しかし分別の無い子供が駄々をこねて面前で大騒ぎしている様子に似ているのです。必要なのはアブシャロムの大人としての謙遜な言動です。臣下を見下すのではなく臣下に友の様に接する姿勢こそが国王に求められる人格だったのですがアブシャロムにその姿は全くなかったのです。仕方なくヨアブは緊急性を報告するためにダビデ王に謁見し取り敢えずアブシャロムに謁見することを許可します。「33,・・・王はアブサロムを呼び寄せた。アブサロムは王のところに来て、王の前で地にひれ伏して礼をした。王はアブサロムに口づけした。」とありますが、一見すると麗しい親子関係の回復の様に見えますが、その後のアブシャロムのとった態度を見ればこの挨拶が実に儀礼的なものであったことが伺えるのです。この挨拶はアブシャロムは蟄居から解放されるための方便だったことは一目瞭然なのです。両者には心通い合わす温かい言葉の数々は全く見つからないのです。ダビデ王にとっても口づけはアブシャロムの極端な行動を防ぐためだけの方便だったのです。