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サムエル記第二14章-3

サムエル記第二14章-3(23-27節)
=本章の内容=

❹呼び戻されたアブシャロム❺アブシャロムの容姿と家族

=ポイント聖句=

24~26王は言った。「あれは自分の家に行ってもらおう。私の顔を見ることはならぬ。」アブサロムは自分の家に行き、王の顔を見ることはなかった。さて、イスラエルのどこにも、アブサロムほど、その美しさをほめそやされた者はいなかった。足の裏から頭の頂まで、彼には非の打ちどころがなかった。彼は毎年、年の終わりに、頭が重いので髪の毛を刈っていたが、刈るときに髪の毛を量ると、王の秤で二百シェケルもあった。

=黙想の記録=

❹23-24節:呼び戻されたアブシャロム・・・ダビデ王はアブシャロムをエルサレムに帰還するところまでは許可しましたが、蟄居を命じ王への謁見を決して許しませんでした。この言動はアブシャロムの犯した大罪を不問に付した訳でなくまた後継者として迎え入れる為でもなかったことを表すものです。目的は「国民感情をなだめる為」であり「アブシャロムの行動を監視し規制する為」であったのです。これは想像ですが、ヨアブはエルサレムに帰還に当たりゲシュルでアブシャロムにこんなことを語って説得を図ったのではないでしょうか。「ダビデ王に慈愛の心が目覚めアブシャロム王子への非情な取り扱いを王はとても後悔している。エルサレムに戻ればきっと王はあなたの名誉を回復してくださるでしょう。」つまり自分の演出が功を奏したと信じ込んでいるのです。ところがアブシャロムはヨアブの勧めに従ってのこのこエルサレムにやってきたところ、王には謁見できずそれどころか危険人物として監視されているのです。つまり王は未だに心を許しておらずさらに全く信用されていないことを感じ取るのです。

❺25-27節:アブシャロムの容姿と家族・・・こんな中途半端な所になぜサムエル記の作者はこんな情報を挿入したのでしょうか。それはアブシャロムの人間的な弱さを際立たせる為と思われます。以下にまとめてみます。

[1] 「25,さて、イスラエルのどこにも、アブサロムほど、その美しさをほめそやされた者はいなかった。足の裏から頭の頂まで、彼には非の打ちどころがなかった。」で「美しさ」とあるところからかなりの美形と思われます。「足の裏から頭の頂まで、彼には非の打ちどころがなかった」とありますが、「足の裏から頭頂部まで傷が見当たらず、またほくろ・そばかす・いぼ・かさぶたなどがない。」つまり身体に不均衡や不快な特徴がないということを強調したものです。
[2]「26,彼は毎年、年の終わりに、頭が重いので髪の毛を刈っていたが、刈るときに髪の毛を量ると、王の秤で二百シェケルもあった。」とありますが、当時髪の毛は誰の目にも明らかな装飾品であり長く良く手入れされた髪の毛は女性でも憧れるほどだったようです。それゆえ髪の毛を我慢の限界まで伸ばし続ける努力をアブシャロムは惜しまなかったようです。「王の秤で二百シェケル」という表現は難解な個所です。「王の秤」は1シェケルが約13gですから200シェケルは2.6kgで信じ難い重量です。男性の髪の毛を30cm切った時の総重量は約200g程度。この基準でアブシャロムの髪の毛の長さを計算すると3.6mにもなるのでこれでは現実的ではありません。200シェケルを髪の毛の値段とする説もあります。200シェケル(2600g)が銀の重さとすると現在の銀相場でいくと137.5円/1g×2600g=357500円となります。仮にアブシャロムの髪の毛が何かの装飾品として利用されるのならそれほどの価値があったとも言えるのです。

●サムエル記の作者が言いたかったことは、「アブシャロム程美意識の高い人物がいなかった。その美を保持するために時間も経費も惜しまなかった人物であった。アブシャロムの品位と品格はその美意識からであり、残念ながら内面の美しさではなかった。彼にはイスラエルの王として相応しい知恵や謙虚さや信仰深さが見られなかった。この美意識の高さが彼の弱点であった。」ということではないでしょうか。民衆の目を恐れていたのはダビデだけではなくアブシャロムも同様だったのです。アブシャロムは前述した様に確かに勤勉な人物だったことでしょう。しかし預言者の目からすると「主なる神様への信仰心を置き去りにし民の人気のみに動かされる情けない人物」と見えていたのではないでしょうか。このことがやがて父の命をも狙いより大きな犯罪へとアブシャロムを誘っていたのを彼は知る由もなかったのです。

[3]「27,アブサロムに、三人の息子と一人の娘が生まれた。その娘の名はタマルといって美しい女であった。」アムノンには家族を持たせる機会を与えず殺害しておいて自分は結婚し子供も設けているのです。殺人は家族を奪う行為であることをアブシャロムは悟りもせずまた己の犯した大罪(異母兄弟ではありますが血のつながりがあるので尊属殺人です。)を未だに悔い改めていないのです。アムノンを殺害したのもまた美意識の延長です。他国の王家の血を引く輝かしく美しい家族を汚したアムノンは人生の汚点です。排除しなければならなかった存在だったのです。自分の娘に実の妹の名を名付けたのはアムノンが起こした事件を風化させない為とも思えるのです。ここには三人の息子の名前が記されてないことやⅡサムエル記18:18に「息子が私にはいない」とアブシャロム自身が言っているところから若くして亡くなったと推測されます。世継ぎが欲しければダビデ王の様に多くの妻を娶れば良いのです。しかしアブシャロムの美意識はそれを許せなかったでしょう。美意識過剰は時として自己陶酔に陥りやすいのです。自分の過失は大目に見ても他者の過失は絶対に許せないのが自己陶酔に陥っている人間の危うさです。アブシャロムのこの危うさをダビデは見抜いていたのかもしれません。