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サムエル記第二14章-2

サムエル記第二14章-2(12-22節)
=本章の内容=

❷テコアの女のネタ晴らし❸ヨアブの釈明

=ポイント聖句=

13,女は言った。「あなた様はどうして、神の民に対してこのようなことを計られたのですか。王様は、先のようなことを語って、ご自分を咎ある者としておられます。王様は追放された者を戻しておられません。

22,ヨアブは地にひれ伏して礼をし、王に祝福のことばを述べて言った。「今日、このしもべがご好意を受けていることが分かりました。王様。王が、このしもべの願いを聞き入れてくださったのですから。

=黙想の記録=

❷12-17節:テコアの女のネタ晴らし・・・「11,主は生きておられる。あなたの息子の髪の毛一本も決して地に落ちることはない。」とダビデは主なる神様の名前を出して誓ってしまったのです。これで王の約束はもはや公式の判決となったのです。そこでテコアの女がいよいよ本題を切り出します。彼女の言葉をまとめてみます。

【1】「13,・・・主君である王様、それではなぜ、神の民に対してあなたはこのようにふるまわれるのでしょう。王様御自身、追放された方を連れ戻そうとなさいません。王様の今回の御判断によるなら、王様は責められることになります。(リビングバイブル)」

[1]『それではなぜ、神の民に対してあなたはこのようにふるまわれるのでしょう。』
・・・これはヨアブ自身が聞こえていた民の声をダビデは無視しているという意味です。民の声とは『第一にアブシャロムが国を追われてから三年が経過したがこれは「三年間の国外追放の処罰」を受けたも同然である。恩赦をかけて当然ではないか。第二に長子アムノンよりはるかに品位品格があり政治力のあるアブシャロムを王位継承者とすべきでないか。」ということです。

[2]『王様御自身、追放された方を連れ戻そうとなさいません。』
・・・文字通りアブシャロムに恩赦かけて呼び戻していないということです。
[3]『王様の今回の御判断によるなら、王様は責められることになります。』とはダビデは現在アブシャロムの危機的状態に関して無作為の罪を犯していることになると諫言している言葉なのです。

【2】「14わたしたちは皆、死ぬべきもの、地に流されれば、再び集めることのできない水のようなものでございます。神は、追放された者が神からも追放されたままになることをお望みになりません。そうならないように取り計らってくださいます。(リビングバイブル)」

[1]『わたしたちは皆、死ぬべきもの、地に流されれば、再び集めることのできない水のようなものでございます。』とは一度起きてしまったことは二度と元に戻らないという意味ですが、命の不確実さを述べたものとすると、ダビデ王もアブシャロムもその死の時期は確定できないので取り返しがつかない前に事を勧めるべきだとの忠告にも聞こえてきます。
※「覆水盆に返らず」の語源になっている言葉です。周時代の中国の故事ともされています。

[2]『神は、追放された者が神からも追放されたままになることをお望みになりません。』とは「追放された者(アブシャロム)」を赦免し故国に連れ戻すことこそ神様の御心です。

【3】「15王様のもとに参りまして、このようなことを申し上げますのは、民がわたしに恐怖を与えるからでございます。王様に申し上げれば、必ずはしための願いをかなえてくださると思いました。(リビングバイブル)」

[1]『民がわたしに恐怖を与えるからでございます。』とありますがテコアの女は「血の復讐をする者(財産を狙う親族)」ではなく「民」と言い換えています。「追放された者」と言う言葉を使っているのですから今までの申し出はテコアの女の身に起こっていることではないとダビデは察しているはずです。とすると『民がわたしに恐怖』の「わたし」とはテコアの女のことではなく「ダビデ王自身」です。つまり「国民はダビデに対して反感さへ持つようになる」との意味になると思われます。

【4】「17,王様は、神の使いのように、善と悪を聞き分けられるからです。あなた様の神、主が、あなたとともにおられますように。(リビングバイブル)」

[1]『王様は、神の使いのように、善と悪を聞き分けられるからです。』当時「天使」は主なる神様に委ねられた公正な裁きを何者にも左右されずに下す存在と考えられていました。ダビデ王にはその公正な裁きを下す能力が備わっているとの意味です。

[2]『あなた様の神、主が、あなたとともにおられますように。』と最後にテコアの女は主の祝福を祈り言葉を締めくくりますが言葉を換えて言うなら「神様が全てをお見通しの様に、ダビデ王は私が話して来たことの真意を汲み取れるはずです。」とネタ晴らしをしてしまったのです。

❸18-22節:ヨアブの釈明・・・テコアの女の大芝居がダビデにばれてしまいます。そしてこのテコアの女はヨアブの差し金であることも分かってしまうのです。「19-20,・・・王様の御家臣ヨアブがわたしにこれを命じ、申し上げるべき言葉をすべて、はしための口に授けたのでございます。御家臣ヨアブが事態を変えるためにこのようなことをしたのです。」彼女はヨアブ同様国家の混乱を憂える人物の一人です。決してヨアブに脅されての行動ではない事がこの言葉から伺い知れます。彼女の話すことが創作のものであったと分かったダビデは彼女を決して罰することなどなかったのです。国王の前で虚偽の証言をすれば即首を刎ねられるという危険が伴った行動は国家の安寧を思うあまりであることをダビデは十分理解したのです。テコアの女が国王と直に謁見できるのは彼女に後ろ盾があったからです。つまりヨアブのことです。またこの謁見にはヨアブも同席していたのではないでしょうか。すぐさまヨアブはダビデ王の前にひれ伏し、姑息な真似をしたにもかかわらずそれを赦してくれたことまたダビデ王が勇気をもって正しい判断を下したことを感謝するのでした。ダビデはアブシャロムが帰還することをようやく許可します。しかしこの行動は国民感情をなだめる為であり、アブシャロムの行動を監視し規制するための目的であったことがアブシャロム帰還後のダビデの言動が物語っています。