サムエル記第二13章-2

サムエル記第二13章-2(23-29節)
=本章の内容=

❷アムノン殺害

=ポイント聖句=

23,満二年たって、アブサロムがエフライムの近くのバアル・ハツォルで羊の毛の刈り取りの祝いをしたとき、アブサロムは王の息子たち全員を招いた。

=黙想の記録=

❷23-39節:アムノン殺害・・・アムノンの事件から丸二年が経過しています。この間アブシャロムとタマルの元にアムノンからもダビデ王からも何のアプローチがありません。アムノンからの謝罪と求婚の申し出は潰えました。ダビデはアムノンに対し為政者としての公正な裁きをしようともせずせず有耶無耶にしようとしています。アムノンもダビデ王もこの事件をなかったものにしようとしているのです。王妃マアカ・アブシャロム・タマルの心にダビデ王への疑念とアムノンへの復讐心が生まれ増長していくには当然の期間だった言えるのです。もはや国民の間にもこの不祥事が広まっているはずです。恥を見ているのは一方的にアブシャロムの側だったのです。「国民はこう思っているだろう。王位継承順位から言えばアムノンは筆頭。しかしこんな男が国王になる世界など考えただけでも反吐が出る。こんな重大事件を起こした人物がなぜ処罰されないのだ。アムノンの一件を掘り下げてしまえば、バテ・シェバとの不祥事を掘り返される一件がありアムノンの処罰できないでいるのだ。ならば私が・・・。」とアブシャロムは結論を出してしまうのです。他の王子たちが宮廷で遊びく暮らしていたのに対しアブシャロムはエフライムの近くのバアル・ハツォルにアブシャロムの私有領地を持っておりそこで牧羊業を営んでいました。牧羊業は羊の毛だけでなく食用としても利用され重要な収入源です(ナバルの事業Ⅰサムエル25:2参照)。この牧羊業を営むことで少しでも王国に尽くしたいと願うアブシャロムの純粋な気持ちの表れです。ところが今アブシャロムはアムノン殺害の道具として使おうとしています。羊の毛刈りは年に1度行われます。 寒い冬が終わり暑い夏を前にした6・7月頃が毛刈りに最も適しています。毛刈りが終了すると「刈り取りの祝い」と称して羊飼いの労をねぎらい報酬を与える目的で親戚縁者も集めて祝会を開催するのが慣わしです。国民の慣例に倣いアブシャロムはダビデ王と自分の兄弟たちをこの毛刈りの祝いに招待しようとします。兄弟を招待するのは兄弟相和すことの重要性を説くためです。また臣下として良き模範を示すためです。しかしこれらは表向きの理由で最大の狙いはアムノンへの復讐の偽装工作だったのです。国王が参列するとなれば当然臣下もまた護衛兵や側近が同行しなければなりません。かなりの大所帯になるわけですからアブシャロムの負担は大きく膨らみます。この理由からダビデは自分と臣下が参列することを遠慮します。実はこのダビデの判断がアブシャロムの最初からの作戦でした。王が列席するところで刃物を振り回せば反逆罪となってしまうからです。王が欠席するのなら国王の代理として長男アムノンを参加させるように願い出ます。これはダビデの意に適いました。なぜなら長男アムノンを次期国王の最有力候補としてアブシャロムが認めたからです。またアムノンを誘うことにダビデは警戒感がなかったのはアブシャロムがアムノンとタマルの一件で二年間何も訴え出なかったからです。アブシャロムがあの忌まわしい事件をすでに水に流しているとでも思ったのでしょう。バアル・ハツォルはエルサレムの北約13kmにあるエフライムの町の近くです。らばを使って移動すれば2時間もあれば到着できる位置です。この距離の近さもあり兄弟全員の参列をダビデは許可してしまいます。『28アブシャロムは従者たちに命じました。「アムノンが酔うまで待つのだ。私が合図したら、あいつを殺せ。恐れるな。私の命令だから、勇気を出して、やり遂げるのだ!」(リビングバイブル)』アブシャロムには牧羊の為の牧者たちだけでなくすでに訓練された私兵もいたと思われます。「恐れるな。私の命令だから、勇気を出して、やり遂げるのだ!」とはアムノン殺害の責任はアブシャロム本人が持つことを意味しています。アムノンを殺害することはイスラエルの律法に適う行為であることを説得しているかのようです。アブシャロムは目的を達成しました。この時点で長男殺害が何を意味しているのか悟っていたかどうかは不明です。しかし逃げ出した他の兄弟には王位を狙う者として映ったのではないでしょうか。
※そもそもアムノンを殺害する大義名分がアブシャロムにあったのでしょうか。前述した様に申命記20章にある姦淫の規定では死刑とまでは規定されていないのです。しかしタマルがアムノンに乱暴されながら叫んだ「12-13,・・・やめてください、お兄様!こんなばかなこと、いけないわ。イスラエルでは、それがどれほど重い罪かご存じでしょう。こんな辱しめを受けたら、私、どこにも顔出しできません。(リビングバイブル)」の言葉の中で「イスラエルでは、それがどれほど重い罪かご存じでしょう。」と言っていますが仮にタマルが創世記30章での出来事(シケムがディナを強姦してしまった後にシケムの一族男子を虐殺した)を例として挙げたものとするならイスラエルの律法ではなく一族の復讐により殺害される危険性を述べたものでアムノンへの最終警告とも言えるのです。イスラエルの歴史にこうした判例があるのです。大義名分はないにしても民衆はこれを認めるとアブシャロムは確信していたものと思われます。
※この時の各自の年齢はダビデ52才・アブシャロム21才、アムノン22才。ソロモンは11才成人前です。

=注目地名=

地名①エフライム(23):英語Ephraim;ヘブル語エフライーム[私は二倍の実りをもたらす]

地名②バアル・ハツォル(23):英語Baalhazor;ヘブル語バアル・ハツォル[村の主]